第一部 信仰論 星加弘文

Chapter 2  キリスト教への接近を妨げる諸見解

Contents

Parable 超宗教と「メートル原器のたとえ」
Essay 1 信仰の健全 知識と信仰  
Essay 2 信仰の健全 真理と権利  
Approach 教会で歓迎されない質問    
Easy Study 1 カント 神認識の不可   
Easy Study 2 ヴレーデ イエス認識の不可
Easy Study 3 ブルトマン イエス認識の不要
Episode 「狭き門」と「二重の門」      
Argument 1 正統主義神学と聖書信仰    
1-1 「無誤論者」の誤り      
1-2 「無謬論者」の誤り      
1-3 「キリスト教倫理の非事実依拠性」と私の聖書信仰 
Argument 2 聖書信仰の根拠「ローテの原理」
Argument 3 聖書信仰と聖書批評学の関係 
Essay 3 キリスト教の回心は必ずしも人生最大の出来事ではない
Notes             

Summary

前章に続いて「史実と信仰」問題の問題設定を無効にする見解を扱います。

前章ではキリスト教の中のリベラルな立場による「啓蒙主義的な聖書への見方」を扱いましたが、当章では保守的な立場が主張する「聖書信仰」を扱います。

キリスト教保守神学の「聖書信仰」は「聖書は誤りのない神のことばである」ことを信じるもので、福音書は歴史記録としても誤りがなく、イエスの正確な知識はすでに得られているとします。

この見方は「史実のイエスを知ることには困難がある」という前提に立つ「史実と信仰」問題の一端を解消することになり、この問題を簡略化させることで、結果としてキリスト教信仰への理解を妨げます。

初めに聖書を「誤りのない神のことば」として信じることで福音書の歴史記事を承認し、その後にイエスを信じるというのはキリスト教信仰の持ち方として適切なのでしょうか。このあり方には、イエスを信じる前にまず聖書を信じなければならないという難点があります。

しかし何をもって聖書が神のことばであると信じることができるのでしょうか。それはイエスが聖書を神のことばとして扱っていたということの他には求められません。つまり、キリスト教信仰には成立順序があり、イエスを信じることが先でなければ聖書への信仰は成り立たないのです。

当章ではキリスト教信仰に対する一般的な誤解をいくつか扱いながら、筆者の経験を交えつつ「聖書信仰」が必要とされるに至った神学史的経緯を考察し、「聖書信仰」の適切なあり方について考えます。

また、前章で主張された「キリスト教信仰の事実依拠性」に対し、当章では新たに「キリスト教倫理の事実依拠性」Argument 1-3)が主張されます。

「信仰の事実依拠性」は、聖書の奇跡記事を事実としてではなく、それが書かれたことの意義や意味に解消して理解しようとする啓蒙主義的キリスト教を拒否する正統主義キリスト教の重要な考え方です。

しかし、聖書の啓蒙主義的解釈を警戒するあまり、「信仰の事実依拠性」の重視は教会に「倫理の事実依拠性」をも同時にもたらすことになったといえます。

つまり聖書に書かれている信仰に関わる歴史事象や奇跡記事だけではなく、聖書に書かれている命令や倫理についても、すべてそれを字義通りに実践することが正統信仰のあり方である、とする傾向が無意識・無反省のままに広がりました。

「信仰の事実依拠性」とは、キリスト教信仰が「聖書に書かれている出来事」に依拠しているという信仰理解を示すもので、この意味で「信仰の事実依拠性」は聖書を文字通りに受け取ることと結びついています。

しかし「信仰の事実依拠性」は、信仰が聖書の「出来事」に依拠することをいうものであって、聖書にある「命令」に依拠するということまでを含んだ概念ではありません。したがって「信仰の事実依拠性」とは、正しくは、聖書の記述全般を文字通りに受け取ることとは違っています。倫理的記述を含めて、聖書に書かれていることすべてを文字通りに受け入れることが正統信仰であるかということは、また別の問題です。

聖書の字句を文字通りに解釈することが重要という福音主義の考え方は、私たちに、新約・旧約時代の当時の社会状況に向けて書かれたと判断されるような個別的命令をもその字義通りに受け取って現代に実践することを、福音的な態度であると思わせてきました。しかし、信仰とセットになった倫理の字義通りの履行はキリスト教原理主義を生みます。ときに福音派が原理主義信仰と呼ばれることの原因はこのところにあるでしょう。

当稿は、「キリスト教倫理の事実依拠性」が「キリスト教信仰の事実依拠性」と並ぶ、伝統的・正統的信仰における重要な聖書解釈原理であり、聖書に書かれている倫理と命令は、私たちに与えられた神の恵みと救いを根底の動機とし、イエスが教える最も大切な戒め二つ、すなわち「神を愛し、隣人を愛せよ」を高き燭台として捉え直されていかなければならないことを主張します。

なお、設けられた「Easy Study 1~3」には次章以降の論考で必要となる知識が含まれています。

読解難易度★☆☆☆☆ 文字数 49,000字