第一部 信仰論 星加弘文

Chapter 2 キリスト教への接近を妨げる諸見解 (6)

Easy Study 2 ヴレーデイエス認識の不可

福音書に描かれた驚くべきイエスの行状は、彼の生涯を伝記としてまとめようとする関心を常に引き起こしてきた。福音書は通常の伝記物語とは異なり、その記述のほとんどがイエスの生涯の終わりに集中し、また彼を伝える四つの福音書には異同が少なくなかったからである。

そこで18世紀までのイエス研究では、四福音書を互いに補足しあう資料とみた上で、「イエスはキリストである」というキリスト教の中心教義との調和のもとにイエス像の探求が行われた。

18世紀に入ると、イエス研究は啓蒙主義による教会権威への懐疑を動機とするようになり、教義と信仰を問う色合いをもつようになっていった。

18世紀後半のH.S.ライマールスにおいては、なお四福音書をイエスの資料として用いながらも、イエスを記した福音書と、使徒の教えを記した書簡の相違に注意が向けられ、教義色の強い書簡の教えが、年代的により遅く成立した福音書のイエス描写に影響を与えているという見方が生じていた。

しかし総じて19世紀の「史的イエスの第一の探求」と呼ばれる時代までは、福音書を考察することで史実のイエスにたどり着けるということが暗黙の前提であり、「教義のイエス」の対抗概念としての「史的イエス」は、学問的方法によって福音書から再構成されたイエスでありながらも、史実のイエスその人と一致する傾向をもったのである。[1]

カントにおける、ある意味で反啓蒙主義的といえる理性批判が顕著な形でイエス研究に表れるのは、19世紀末のW.ヴレーデにおいてである。

彼はライマールスが生前公けにはしていなかった「福音書のイエスと史実のイエスの乖離」という見方、すなわち福音書はイエスについての歴史資料ではなく福音書記者の神学作品であるという見方についての考察を『福音書におけるメシアの秘密』で著し、イエス探求が、方法的に困難であるというよりは原理的に不可能であることを帰結させていた。

彼の主張は、先にリッチュルにより着目されていたマルコ福音書における「メシアの秘密」が、史実に基づくものではなくマルコの創作であるというものである。

「メシアの秘密」というのは、イエスが治癒奇跡などのメシア(救世主)的働きをした直後に、そのことを黙っているように人々に命じる場面がたびたび描かれていることをいうもので、[2] その記事には、沈黙を命ずる意図についての記述がないことから解釈を要する事態となっていることを指す。

伝統的な解釈では、当時のユダヤ支配者であったローマ皇帝に対抗する政治的メシアとしての期待を、民衆がイエスに抱くことを避けさせるために、イエス自身が沈黙を命じたものと解されている。

しかしヴレーデによれば、「沈黙命令」を史実とすることは、その記事が福音書の伝承部にではなく、伝承場面をつなぐ編集部にあることから退けられるという。[3] またリッチュルによれば「メシアの秘密」の主題はマタイ福音書には見られないとされている。[4]

これらにより「メシアの秘密」はマルコによる創作であるという基本理解が与えられ、その上で、なぜそのように書かれねばならなかったかが考察されることになる。

ブルトマンによればヴレーデの考察は次のようなものである。(ブルトマンの解説も明瞭ではないので、以下は分かりやすくした説明)

マルコが所有していたイエスの資料には「旧約預言者風」のイエスが記されているだけであった。一方で、マルコが福音書を書こうとした、イエスの死から数十年を経たその当時、人々の間ではすでにイエスを神とする「キリスト信仰」が広まっていた。両者に著しい差があったことから、マルコは、彼が福音書に描く「神的なイエス」が捏造であるという疑惑を、イエスの時代を知る人々から持たれないようにする必要を感じた。そのためマルコはイエスによる沈黙命令を書き加えることで、両者の落差が合理的に説明されるようにした。すなわちイエスの時代、キリスト信仰はイエス自身の命により公けには封じられており、そのため彼が手にしている福音書の原資料にはキリスト信仰が認められず、またイエスを知る人々においてもそれは同様なのだが、実は、イエスのメシヤ性は、彼が生きていた当時から使徒や癒やしを受けたごく一部の人々には明らかにされていたのであって、時代を経てそれが広まったという理屈である。[5]

教会の陰謀説の臭いがする「メシヤの秘密」の解釈については異論の余地のあることがすでにブルトマン自身によって述べられているが、ここで重要なのは、マルコ福音書におけるイエスの「沈黙命令」は、実際の史実と福音書の記事に乖離がある、言いかえれば福音書の記事は歴史事実そのままではないという想定をしなければ理解が困難とされた点である。

これ以後、福音書がもつある種の「理解しがたさ」を解く方法として、福音書記者による創作的編集の可能性という主張は一般的なものとなっていく。

例えば、マタイ福音書11.24-25での「イエスの絶望的な言葉から讃美への急展開」、マタイ11.3-4の「イエスへのメシヤ質問とちぐはぐなイエスの答え」などは解釈を要する場面だが、ルカ福音書の並行箇所では両者ともその解りにくさを補足することになるような記事が挿入されている。

このようなところがルカによる創作、あるいはこの言葉に支障がある場合には「編集」とみなされることとなった。

福音書間の相違は、それまでは資料の不備や欠落といった消極的要因によるとされてきたが、そうではなく各著者の意図が働いたものとして積極的に捉えられなければならない。

このことは福音書の照合・比較において達成されるのが史実への接近ではなく、福音書著者の思想への接近であることを意味したのである。

「われわれはイエスその人についての証言を前にしているのだろうか」[6]

「資料批評家たちはマルコ(福音書)の中に(イエスについての)資料を発見する視点から問題をみたが、編集史家たちは(著者)マルコを発見する観点から問題を見た」[7]

「自由主義神学は、受け入れがたいと考える記述にのみ福音書記者の影響を認めたが、ヴレーデにおいては記述全編が記者の影響のもとにある」[8]

史実と福音書の乖離という認識は、カントが我々の認識能力の介在において物質の本来の姿である「物自体」を知りえないとしたことの反映である。

世界を知るためにある我々の認識能力が、その時間、空間、因果律という性質のゆえに世界のありのままの認識を妨げるのと同じく、イエスを伝えるために存在する著者が、その意図のゆえにイエスの知識を妨げるのである。

福音派の弁証家として知られたF.シェーファーは『理性からの逃走』という書物の中で、「現象と物自体」における知りえることと知りえないことの境界を「絶望の境界」と呼び、この境界線によって分断された二元世界を避けられないこととして受容しているのが「現代人」であり、この「現代人」への門戸はカントによって開かれたと述べている。[9]

この見方によれば、史的イエスの探求に関わる神学は、ヴレーデにおいてカント的な絶望の扉を開き、史実のイエスとキリスト信仰の調和を求めてきた近代神学を、これら史実と信仰の分断を受容する現代神学へと押し進めたのである。松木治三郎はこれをキリスト教における「致命的出来事」と記した。[10]