第一部 信仰論 | 星加弘文 |
「イエス認識不可」を基本理解とするようになった20世紀半ばまでの神学は、その克服のために二つの方向を持つこととなる。
一つは「史的イエスの第二の探求」と呼ばれるブルトマン学派による研究で、新約聖書の使徒行伝と書簡に繰り返しみられる信仰告白の定型文である「ケリュグマ」という、歴史資料として最も信頼性が高いとされる部分を中心として、いま一度、史的イエスの探求を試みようとするものである。
そしてもう一つの重要な方向が、信仰には、史実のイエスの認識が必ずしも必要ではないという見方を採用する新正統主義神学による史実と信仰の関係を中心とした研究である。
この派は信仰論(いかに信じえるかを主要な関心事とする)を重視するR.ブルトマンと、教義学(どのような信仰であるべきかを主要な関心事とする)の優位を主張するK.バルトという、後に断絶に至るほどの神学上の幅を持ちながらも、
「絶対的な信仰が相対的な歴史学に基礎づけを持つことはあり得ない」
という18世紀のG.レッシングや、19世紀のS.キルケゴールが述べた信仰におけるある種の普遍性の強調を神学に復興させ、「史実は信仰を与えない」を標語とする点で一致していた。
すなわちブルトマン学派が史実探求の精緻化という歴史主義のさらなる徹底によって「イエス認識不可」を克服しようとしたのに対し、新正統主義神学は実存主義(信じる側の主体性)において信仰の可能を達成しようとしたのである。
新正統主義神学が拠りどころとしたのは、その半世紀ほど前の神学者M.ケーラーの「信仰のキリスト」という概念である。
ケーラーは当時(19世紀後半)の神学が提示する史的イエスが神的イメージからかけ離れたものであったことや、史実への到達が困難であるという見方が強まっていたことに対し、キリスト教信仰にとって重要であるのはイエスその人ではなく、歴代の信仰者たちによって信じられ伝えられてきた「信仰のキリスト」であるという見解を述べた。
「イエスの生涯や人格についての伝記的記述はキリスト教信仰の本質の一部であるどころか、真のキリスト教信仰に関係がないのである」
新正統主義の著名な三人の神学者R.ブルトマン、E.ブルンナー、K.バルトは、史実のイエスを知ることが方法的に困難であり、また信仰にとって望ましからぬ事実が告げられるゆえに史的イエスを断念するというのではなく、むしろ「歴史事実が知り得ないことは信仰にとって好都合である」と述べる。
日本の大学でも教鞭を執ったブルンナーは、
「信仰にとって、いついかなる時世にキリストが生きていたか…ということは原理的にまったくどちらでもよいことである。…実証が信仰にむしろ妨げになる」
と述べ、この事態をカントが述べる理論理性の限界が示す危機としつつ次のように続ける。
「この危機のうちに――慎重にこの危機からと、あえていいたい――信仰が生まれて来る。…真理はいまや、啓示の言葉となって、全くちがったやり方で時間の中に入るのである。」
歴史主義がもたらす信仰の危機を弁証法的に逆転するこの主張は「危機神学」や「弁証法神学」と称される彼の立場を象徴している。それは信仰の真の契機が史的イエスの探求とは別立てで与えられるとする点で、ケーラーの「信仰のキリスト」概念に関係するのである。
新正統主義神学がヴレーデらの「イエス認識不可」に対する解決として「イエス認識不要」を提出したことはいろいろな点で驚くべきことに思えるが、史的イエスの問題を「史実」問題という構造的に単純な問題から、より複雑な「史実と信仰」問題へと発展させたことは評価されるべき点といえる。
史的イエス問題を単なる過去の人物探求の問題とする限り、他の歴史学と同様に、新約文書という歴史資料の限界に突き当たらざるをえない。しかし、そもそもこの問題は、イエスへの信仰が生じたことや教会の発生に対する関心において問われてきた問題であった。人々が彼をキリストと信じた決定的な理由は何であったのか、イエスの教えと使徒の信仰成立の間には正確にはどのような連関があったのかといったことである。
新正統主義神学は史実探求の不可能という事態に直面したことを契機に、この初期の動機に立ち戻り、史的イエス問題を史実問題ではなく、史実と信仰の関係問題としていった。言いかえれば、イエスその人への史学的探究というのではなく、イエスと彼を信じた人々の関係の探究としてこの問題を捉えたのである。
史的イエスが史実問題としてのみ考えられているとき、そこでは「イエスの史実が信仰を与える」とする、史実と信仰の関係が暗黙のうちに想定されている。
神的なイエスが見いだされれば信仰の成立は自然発生的なものとして説明でき、そうでない場合は、今日に伝わる信仰や教会の発生は人為的なものと断ぜざるをえないという想定である。
つまりこの場合、“史実獲得の肯定/否定”と、“信仰成立の肯定/否定” は連動しており、両者は固定した関係にあるとみられている。このためイエスの史実の獲得の可否が、信仰や教会の成立可否を意味し、したがって重大な事柄とされてきたのである。
しかし福音書に立ち戻ってみると、イエスの弟子たちがイエスを三年余り目の前にしながらも最終的に彼への信仰をためらっていたことを知らされる。
すでにライマールスやヴレーデらの指摘にある通り、福音書における弟子たちと使徒書簡にみられる使徒らの信仰には落差があり、この点でキリスト教信仰は、たとえイエスが福音書に伝えられている通りの神的な存在であったとしても、そのイエスの行状から自然発生的に生じたという理解だけでは説明しきれないものを持っているのである。つまり、
「神的なイエス → 使徒の信仰成立」
あるいは
「神的ではないイエス → 使徒による信仰の捏造」
という “史実獲得の肯定/否定”と、“信仰成立の肯定/否定” が固化した歴史主義的見方は、いずれにせよ信仰とは自然発生的に生じるもの、という想定に立ったものである。
しかし後に見る通り、新約聖書が伝えている教会成立の経緯を辿れば、
「神的なイエス → しかし使徒は十分な信仰を持てず → その後に使徒的信仰が確立」
というのが実際であったから、この場合、生前のイエスによるというのだけではない、もう少し複雑な経緯を伴う信仰の成立が考えられなければならないだろう。
つまり、歴史主義において想定されている「史実」と「信仰」の固い結びつきは解きほぐされなければならない。そしてこのとき、史実のイエスについての確実な知識は必ずしも必要ではなくなるともいえよう。というのもこの経緯においては、イエスは直接的には使徒に信仰を与えていないからである。
イエスの十字架刑の時点で潰えることになる福音書時代の弟子たちの信仰と、現在に伝えられることになった使徒行伝以後の使徒の信仰には著しい違いが認められるというライマールス以来の古典的見方が正しいのであれば、イエスの神的な業を経験していた弟子たちは、しかしそれによっては使徒的信仰の獲得には至っていなかったことになる。
このことは「イエス認識の不要」を正当化するものではまったくないが、少なくとも史的イエス問題は、「史実は信仰を与えない」という観点から問われなければならない問題であることを示しているのである。
自由主義神学が「史実獲得否定、正統信仰否定」、保守神学が「史実獲得肯定、正統信仰肯定」という立場にあるのに対し、新正統主義神学は「史実獲得否定、正統信仰肯定」という特異な立場をとって問題に取り組んだ。このため彼らの神学には「正統」という名が含まれるのであるが、実際には正統主義からの逸脱であることは否定できない。
新正統主義神学が採用した「神に関わる認識は非理性的な領域においてのみ可能である」というカント由来の考え方は、現在の主流派神学に引き継がれ、啓示の場としての人格主義や聖霊主義、また終末論や物語論の援用を伴う様々な神学を生じさせるに至っている。
その一方で、「史実否定かつ信仰肯定」、すなわち「イエスの確実な史実が獲得できない中での信仰成立」という新正統主義神学が掲げた課題は、その後の神学史において立ち消えになったというのが事実である。20世紀半ばの著名なキリスト教解説者であるH.ツァールントは次のように述べて、1960年代当時、すでにこの問題が滞り、捨て置かれつつあったことを伝えている。
「全体として観ると、神学は今までのところではブルトマンを越える決定的な歩みにまでは未だ達していない」
「今日まだ解決されていない神学的問題は、歴史と実存との正しい関係に関するものである。」
この後の史的イエス研究は、死海文書、ナグ・ハマディ文書、トマス福音書など20世紀における相次ぐ新資料の発見と、古代社会学と宗教学の発展、考古学の発達、コンピューターによる語解析の進化などの新しい動機を得て「史的イエスの第三の探求」と呼ばれる研究が1980年代に始まり現在に至っている。
しかしこれにより史的イエス問題は、かつてよりもさらに純粋な史実問題としてのみ扱われ、このため研究主体の多くが一般大学となり、もはや神学的視点から史的イエスが問われることは極めて少ない。
結果的に新正統主義神学が解決しようとした史実と信仰の関係問題は現在も積み残されたままであり、それはとりあえず次の2点にまとめることができる。
1.キリスト教信仰の「事実依拠性」に鑑みて、我々の信仰に史実のイエスは必要であるが、その正確な史実は与えられていない可能性がある。この状況においてどのように信仰が可能か。
2.仮に、イエス研究により史的に正確なイエスを獲得しえたとしても、その場合、信仰の成立が学問の成果に依存する事態となり、信仰は獲得された知識の範囲においてのみ確かなものであるにすぎないということになる。しかしこれは普遍性や絶対性など、古くからキリスト教信仰に求められ、かつ認められてきた信仰の性質を損なうものである。信仰と学問の関係をどう理解すべきか。
新正統主義神学の「史的イエス不要」という考えは、上の2点の克服のための一つのアイデアであったが、これを徹底して主張したのはブルトマンと、より左派のH.ブラウンにとどまる。同派内を含め同時代の他の神学者は、史的イエス不在の「信仰のキリスト」による解決の異常さに気づいており、このことはブルトマン門戸の研究者たちが師に追随することなくブルトマン学派という「史的イエスの第二の探求」に携わる史実重視のグループを形成したことからも知られるのである。
ブルトマンによって「史実否定かつ信仰肯定」という問題設定が明確にされたとき、「史実と信仰」問題は新たな展望を得るかに見えた。
しかし彼らが実際に行ったことは、ブルトマンの実存主義にせよ、バルトのキリスト中心主義にせよ、ブーバーの人格主義にせよ、いずれも信仰優先の方策にすぎなかった。そこでは通常の意味での歴史と区別された「超歴史」、同じく通常の歴史を意味するヒストリエと区別された「ゲシヒテ」のような概念が横行するばかりで、本来的意味での「史実と信仰」の関係が扱われることはなかったのである。
この新正統主義神学の試みが不十分な結果に終わった最大の要因は、彼らが依拠したケーラーの「信仰のキリスト」という概念にある。
ケーラーが述べる「信仰のキリスト」とは「聖書記者がそう信じ我々に伝えたイエス」のことであるが、このイエスは、聖書記者にとっては実在的であるが、後代の信仰者においては、その「聖書記者が信じたキリスト」を受けとる形となるものである。
このため後代における信仰は、弟子たちのようにイエスその人から喚起された信仰というのではなく、ある意味、伝統芸能のように先代の信仰を継承する信仰という色合いを持つことになる。
それゆえすでに複数の指摘があるとおり、
カントは経験的対象を現象と物自体という二重性において捉えることを説いたが、ヘーゲルはカントによって認識不能とされた物自体を捨て、認識可能な現象のみを思惟対象とし、物自体が担っていた実在性や超越性などの絶対的性質を、世界の全体性や歴史の目的性として現象に付与したところの一元世界観を構成した。物自体が認識不能なのであれば、そのようなものを顧慮する必要はないということである。
ケーラーの神学ではこれと似たことが行われている。
カントにおける経験的対象は我々の認識主観を経た「現象」であるが、このとき現象はその背後に物自体を控えたものと考えられていた。
同様に、我々の経験対象である福音書に記された「福音書のイエス」は、著者による伝達操作を経て我々が認識しうるものとなった「現象」といえるが、元来その背後には「史的イエス」の存在が想定されているものである。
しかしケーラーにおいては、聖書記者によって伝えられた「福音書のイエス」をもって我々が取得すべきもののすべてとされ、ヴレーデらによって認識不可能とされた「史的イエス」は放棄されている。
我々におけるキリスト教信仰とは使徒の宣教活動への応答であるから、我々はただ使徒が抱いていたキリストの概念を知ることができればよく、それはケリュグマや歴史的にまとめられた信条集などに見いだせるのであり、もはや史実のイエスは不要ということなのである。
「福音書のイエス」をすべてとするという考えは一見、聖書的・福音的な行為にみえるが、それはイエスの史実に対する求めを持たない信仰を招く。このため「信仰のキリスト」をキリスト教信仰の安定の基と解する新正統主義以降の主流派神学においては、史実の獲得を信仰の外に、すなわちイエス研究という一学問に発注する事態を続けてきたのである。
バルトら新正統主義神学の一部は「福音派」と(誤って)呼ばれることがあるが、我々がこれに違和感を覚えるのも、この「信仰のキリスト」におけるイエス不在感と、その補償として彼らが頼るイエス研究という、いわば「信仰時々学問」の、信仰と学問が分離したその構図によるのである。
さてこのように、「史的イエス」がもたらす二つの不都合、すなわちそれを獲得できないということと、獲得できたとしても信仰の学問への依存を引き起こすという不都合を回避するために、新正統主義神学は「信仰のキリスト」概念を採用し、史的イエス問題を「史実と信仰」問題として扱う新たな取り組みを見せたのだったが解決には至らなかった。そして未解決に終わった問題は、やがて問題そのものがほぼ捨て置かれたままとなったのである。
しかしながら新正統主義神学が、福音書と書簡にみられる弟子たちの信仰の差異、また、神を父と教えたイエスの教説と、イエスをキリストと伝える弟子たちの宣教の差異を重視し、そこに「史実と信仰」問題の解決の鍵があるとみた点はなお重要である。この観点により、我々に伝えられている使徒の信仰が、単なる自然発生的な信仰に由来するのではない性質を持つものであることが明らかにされたからである。
一方、保守神学ではこの違いを重視することがなかったために、現在まで信仰成立についての自然発生的理解――イエスによる新しい教えとメシヤ的奇跡があってそこからキリスト信仰が生じたという理解――にとどまり続けていることも指摘しておきたい。
このため、ある意味において保守派の信仰理解は浅いままといえる。この点と、カントの「現象と物自体の分離」という思想の重大性を見逃してきたために、保守神学は、自由主義神学、新正統主義神学、主流派神学らの非正統性に対しては敏感である一方で、彼らを理解した上での批判を行うまでには至っていないのである。