第一部 信仰論 | 星加弘文 |
教会では洗礼式前の一定期間、牧師から直接指導を受けるということがある。受洗準備のためのレッスンだが、私の場合はその時期になってもなお聖書講座が続いていた。しかも初めの頃のように日曜午後のプレハブでというのではなく、週に一度、牧師が私のアパートを訪れて一対一で行う聖書講義がすでに一年ほども続けられていたのである。
そのように長い期間――といってよいと思うが、私は牧師から教導を受けていたが、そこで教えられる内容には、聖書正典の成立経緯とか記事の信頼性に関する議論など、聖書そのものを評価するための材料となるものは全く含まれなかった。
むしろそういった「客観的知識」は意図して避けられているようで、もっぱら福音書に記されたイエスと弟子たちのやりとりやたとえ話が文脈や背景とともに解説され、最後に私自身の生活に敷衍されて勧めが締めくくられるというものであった。
その際、牧師はよく「自分を聖書の上に置くのではなく、聖書の下において聖書のメッセージに耳を傾けてください」と言った。
いわゆる「個人伝道」の方法について記した教会向けの小冊子には「相手が聖書の成立経緯などについて質問をしてきた場合の対処」というような項目が用意されていて、その場合「福音伝道が議論の場にならないようにする。理論的な説得は回心に結びつかないので相手の注意を福音と自身の関係に向けさせる」といったことが勧められている。
具体的には「あなた自身は(聖書をではなく)聖書からのメッセージをどう思いますか」と問い返す方法が紹介されていたりする。
私自身も後に逆の立場となってその方法に従ったのだったが、しかしこのやり方は聖書について沈黙を要求するものであり公平ではない。
それは「あなたは神とキリストと人間と世界についてたずねてよい。おおいにたずねよ。しかし聖書は別である。聖書のことは信仰をもってからたずねなさい」と相手に告げているのである。
しかし聖書への質問を遮ることは彼らのキリスト教への接近を妨げこそすれ促進させるものではない。
福音を伝えられる立場にある者が、聖書の歴史的意味での信頼性に関心を抱くのは当然である。誰が説話的なおとぎ話を聞いて、それに感動し教えられるところがあったからといって、その話の主人公が書かれているとおりに実在していたに違いないなどと考えるだろうか。
しかし教会が行う伝道では、回心が得られさえすればイエスや聖書についての疑問は止むと想定されている。「信じればわかります」という、時折、牧師が使うことばにはそういう意味が込められている。
だが信仰が成立するために必要であるもろもろの出来事、つまり信仰の前提となる出来事についての知識は重要である。最初にイエスを信じた弟子たちにおいてそれは豊富だったからである。イエスに関わる諸々の出来事があってようやく彼らはイエスを信じた。
使徒後の人間においてはそれは著しく乏しい。それゆえ、聖書に書かれていることは事実なのか、彼らがイエスを信じるきっかけとなったとされている奇跡はありえることなのかといったことは、使徒後の求道者としてはどうしても知る必要があると感じる最低限の疑問なのである。
信仰の前提となる事柄への問いは信じることで解決しないし、またそのようにして解消してはならない。健全な信仰において知識と信仰の区別は保たれなければならないからだ。
信仰がそれらの事実に依拠しているのであってその逆ではない。それがキリスト教における「信仰の事実依拠性」である。しかし信仰の前提を問うことは歓迎されないのである。
実はこのことは、求道者側に問題があるのではなく、教会が問題を抱えていることの表れなのである。
「聖書に関する議論は信仰の妨げになる」という教会の発想は、その文言をもう一度読み返してみれば明らかであるとおり、教会が病気に罹った状態にあることを示している。本来なら「聖書についてのあらゆる議論は信仰に有益である」と胸をはって言えなければならない。しかしそう言えない事情が教会側にあるのである。
現代の教会はなぜこの事態に至っているのか。
ローマ世界に誕生したキリスト教はすぐさま当時のヘレニズム文化に直面し、ギリシャ由来の哲学や倫理学への対抗として神学や弁証論を必要とするようになった。キリスト教は発生初期の数世紀においてすでに理性的側面を強くもつ宗教であったといえる。
しかしこのことが自身を追い詰めることになる。近代の聖書批評学は18世紀に始まるが、西欧のキリスト教神学はカント哲学の影響を受け、19世紀末には福音書の史実性に重大な疑いを投げかける事態を引き起こしていた。
このため教会は聖書を理性的にのみ扱うことを危険と考えるようになったのである。この経緯を以下のEasy Study 1~3に概観しておこう。