第一部 信仰論 | 星加弘文 |
当論文の中心主題の一つである「史実と信仰」問題に入ります。この問題には解決が求められている複数の論点があります。
(1) イエスの知識を正しく得ることができるのか。
(2)「史的イエス」研究がイエスの知識を与えるとした場合、キリスト教信仰は学問への依存によって成立することになるがそれでよいのか。
(3) 仮に、イエスの知識獲得に不満のない状況が得られたとして、信仰の成立にはそれで十分なのか。イエスが目の前にいたとして、それでなぜ彼を信じることができるのか。
(4) そもそもキリスト教信仰にイエスの史実が必要であるというのは何故なのか。Chapter 1で見た「正統キリスト教とはそういうものだからだ」というブルースの回答はここでも答えにはならない。「史実と信仰」問題の最終場面では、イエスの史実なしに成立する事実依拠的ではない非正統信仰が、なぜキリスト教の信仰であってはならないのかということそのものが問われている。
「史実と信仰」問題は複数の論点が絡み合う複雑な問題です。その複雑さゆえに「イエスの史実を知りえないことは信仰にとって逆に好都合である」とか「見ずに信じる者は幸い」といった一石二鳥のような、手軽な解決が主張されがちです。
しかし上に挙げられた各論点はいずれもきわめて深刻な問いであり、その一つ一つに正確な解決が与えられなければ、キリスト教は自らに欠陥を招いて、信仰はそれを補うための恣意性を免れないものとなります。「分からないからこそ信じている」というような知識の犠牲の上に保たれる信仰は、使徒たちに認められる本来の信仰の姿を捉えたものとはいえません。
全ての論点に解決を与えるためには、まず、相互に近接するこれらの課題を正確に捉えることが必要です。当章では、論点(3)を他の論点から分離・抽出するところから論を始め、その解決の後、(4)の答えを見い出します。
「祈り」や「神の臨在」、「聖霊」といった霊性の部分を別にすれば、キリスト教信仰における最も深いと思われる領域を扱っており、キリスト教外の方にとっても資するものとなっています。
読解難易度★★☆☆☆ 文字数 48,000字