第一部 信仰論 | 星加弘文 |
キリスト教に限らず、そもそも宗教の教えというのは特定事象に対する「余計な解釈」だといえる。キリスト教の贖罪教義は、一世紀に起きたイエスの十字架刑についてのやはり余計な解釈である。
イエスの刑死は彼の教えとユダヤ教の対立、および当時のユダヤ人が置かれていた政治的状況から十分な説明を得るのであり、イエスが「人々の罪の贖いのために死んだ」というキリスト教教義は、少なくとも非信仰者にとっては余計な説明であるにすぎない。
宗教教義が「余計」であることについては論理学がよく説明する。論理の詳細については「信仰と理性論」のサイトにEasy Studyを設けて見ることにするが、宗教の教えがみな「後件肯定式」という推論形式であることが「余計」の構造である。
後件肯定式推論とは「AならばBであることは真、そしていま後件Bは真」ということから前件Aの真であることを主張するものだが、論理的には誤謬であり、この形式の推論ではAの真であることは保証されない。それは前件Aが必ず間違っているということではなく、Aの真偽は定まらないということである。
例えば、キリスト教の原罪教義は「人間は神に創造された状態から堕落したために、全員が罪ある者として生まれる」と教える。
我々は初めてその教えを耳にすると「キリスト教とはそういう教えをする宗教なのか」と思うだけだが、実際に我が身を振り返り、そして身近な者たちを省みてみると、確かにいずれの者も皆、罪を否定できないと思われ、「なるほど、聖書はほんとうのことを教えている」ということになる。
これは「原罪を負っているならばすべての人間には罪がある」を「AならばB」という説とし、その後件Bを観察によって「現に皆罪深い」と肯定する後件肯定式推論による納得である。
しかしこの理屈は、納得している当人以外には、通常、承伏しがたいと感じられるものである。というのも、人の罪の原因についてはキリスト教が教える「原罪」だけではなく、他の宗教からも同様の論理で様々に聞くことができるからである。また進化論的な立場からは、生物進化の競争過程では邪悪であることが有利に働いてより邪悪なものが生き残ったなどの説明も可能である。つまりここでの宗教教義の「余計」とは、それが事態の原因を説明する複数の説の一つにすぎないということである。
もっとも納得した当人においても、その教えを「なるほど」と思ったのは、「全員が罪ある者」とする教義の後件部分が、改めて観察してみた回りの状況に合致していることついての納得だったのであり、教義前件の「アダムの原罪」についての納得ではなかったのである。しかし宗教教義というのは、その一部を納得させて全部を納得させるというごまかしの理屈として機能する場合も多い。
宗教教義の「余計」に関しては心理学的にも次を指摘できる。
A.H.マズローのよく知られた「欲求の5段階説」によると、宗教的欲求は生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、自己実現欲求などが満たされた後の最後に位置する欲求とされている。それは最も贅沢な欲求であり、我々の実状が明らかにしているとおり、多くの人は宗教的欲求以前の4段階あるいは5段階の欲求を満たすことに忙しく、宗教的欲求などなしに人生を済ませているのである。
宗教家は「神への渇望こそが人間の最も根元的な欲求である」などと言うが、それはほぼ詭弁であって、我々が自分自身のものとして知っている宗教的欲求は元来は非常に小さいといってよい。宗教を職業にした人はまた別であるだろうが、それは他の欲求に比べれば満たされなくてもどうにかなるものである。
さて、これらのことが、キリスト教に限らず、一般に人々が宗教を必要としないことの根本的な理由であると考えられる。つまり多くの人にとって宗教は人生における「余計」なものであって、真剣にコミットする必要を感じられないということである。
そこで通過儀礼的な場面を除けば、人々が個人的に宗教に関わる機会は二つに限られることになる。一つは人が困窮している場合であり、もう一つは、人が宗教に驚きの目を向ける場合である。
これらの状況においては宗教は少なくとも「余計」なものではなくなる。前者ではむしろ「必要」とされ、後者では好奇や関心の対象になる。前者の契機から宗教を信じるようになった人の信仰を「ご利益的信仰」、後者の契機から生じる信仰を「自然発生的信仰」と呼ぶことができるだろう。
福音書にもこれら二通りの人々が登場する。
手足や目、耳、口に障害を持つ人や、「死の町」ネクロポリス(マルコ5.1)や、隔離の村(ルカ17.12)につながれた人々はイエスによる癒しの業を必要とした。そしてローマ帝国下にあってダビデの再来を待ち望む人々は、イエスに「ユダヤの王」を期待した。イエスの弟子たちもまたイエスをそのように見ようとしていたのである。
癒やしの業を必要とし、そしてそれを与える教祖に驚きと期待の目を向けるこれらの人々の姿こそ、宗教と人々の本来の関わりの姿であるとする見方もある。イエスの宗教もまさにこれを体現するものであり、それはChapter 1 - Essay 3でのジョン・ヒックの言葉「人々がいちばん深く求めてやまない欲求」に応えるものであった。
しかしその一方で、イエスはこの状況をよしとしなかったことが福音書に記されている(ヨハネ4.48)。このことは彼の宗教を理解しがたいものとするのであるが、実際、イエスが人々に求めた信仰は、ご利益的信仰でも自然発生的信仰でもなかったことは注目されなければならない。
マルコ福音書には、病人、悪霊につかれた人、身体の不自由な人、そして死者に対するものなど、治癒奇跡が多数記されている。その状況で自然なことだが、これら癒しを受けた人々においては、彼らが受けたイエスの力に対する心証から、ある種の信仰が即座に形成されたことがうかがえる。その中のある者はイエスの一行に加わろうとしたと記されている(マルコ5.18、10.52)。
しかし注目すべきは、イエスは治癒奇跡によって癒された人々が抱いたイエスへの素朴な信仰を、必ずしも全面的には肯定していないとみえることである。
Chapter2 - Easy Study 2で紹介した「メシヤの秘密」として知られる、治癒奇跡の後に告げられた「沈黙命令」(マルコ1.43、5.42、7.36等)は、実に、イエスが悪霊に命じた「沈黙命令」(マルコ1.34、3.12等)と同じものであって、まるで彼らが抱いたイエスへの信仰心が不適切であるかのようである。
ルカ福音書では、悪霊たちに沈黙が課せられたのは「彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである」(4.41)とされている。「イエスがキリストである」とは、使徒がイエスの復活後、ペンテコステで述べた宣教内容そのものであり信仰的に申し分のないものである。
これが悪霊たちに禁止されたのは、人々が獲得すべき信仰の奥義を、信用のならないものたちが言い広めることは百害あって一利なしと判断したからであっただろうか。
同様に、癒しを受けた者にその事実を秘すことを度々命じたのは、人々が誤って自身を理解することを避けさせるためだっただろうか。
「沈黙命令」の真意は謎のままだが、これらのことから、イエスが特別な力によって恩恵を受けた人々を回りにおき、自身を教祖として崇める宗教団を築くことは彼にとって容易であったことは想像に難くない。しかしイエスは困窮者達を引き連れることをせず、彼らを弟子たちの列に加えることをしなかったのである。
そしてこの傾向は最初の12人の弟子の集め方にも見られる。
イエスが使徒として選んだのは、そういった恩恵を我が身に直接体験することになるような困苦の状況にある者ではなく、むしろ職業人としての社会生活をごく普通に営んでいた者たちであった。その中にはヤコブとヨハネ兄弟のように富裕層に属しているとみられる者さえあったのである。
つまり、イエスが選んだ弟子たちは、危急的には貧しくもなく病気に苦しんでもいなかったのであり、その意味ではイエスへの信仰を持ちにくい人々だったといえる。
このことは、イエスは自らへの信仰を、単に彼の特別な力からそう信じ込むというのではなく、それとは異なる何らかの経緯を経て獲得することを弟子たちに求めたこととして理解されるのである。
弟子たちはイエスの奇跡を幾度も経験し、彼の超自然的な力が現実のものであることを知らされていく。そしてその知識は彼らに信仰が成立するために必要であり、イエスは自然奇跡、治癒奇跡を繰り返すだけではなく、ときにごく少数の弟子だけを伴い、死者の復活をも三度行っている。
ただしそれがいかに驚くべき業であったとしても、その行為から生じる理解だけでは、イエスは人が自分を理解したことにはならないとしたのである。弟子たちがイエスを眼前にしながらも置かれ続けたイエスの「隔絶性」とは、これら自然発生的に生じる信仰に対するイエスの不承認のことなのである。
一方で、弟子たちはイエスを十分に信じていると思っており、彼らはイエスが捕らえられようとするときには行動を共にすると断言していた。危険が予期されるエルサレムに戻ろうとする時のトマスしかり(ヨハネ11.16)、イエス逮捕前夜のペテロしかりである(ヨハネ13.37)。
しかしイエスは彼らの信仰の不十分さを嘆き(ルカ8.25、マルコ8.21)、ときに憤り(マルコ8.33、ヨハネ11.38)、最後には裏切りを予告する(ルカ22.33)。
そのように告げられた弟子たちは、しかしイエスをキリストであるとすでに告白しているのであって(マルコ8.29)、これ以上どうすればイエスを「本当に信じた」ことになるのか、それがわからなかったのである。弟子たちにおけるイエスの「隔絶性」とは彼らのこの困惑であった。