第一部 信仰論 星加弘文

Chapter 3 使徒的信仰の成立 (4)

Review 1 ブルトマンの問題設定の支持

使徒の信仰の変化を巡っては、R.ブルトマンが「イエスの教え」と「使徒の宣教(ケリュグマ)の「不連続」として、これを取り上げている。彼はこの違いを解かれるべき謎と考えた。

イエスは「神は父である」と神について教えたが、使徒は「イエスは救い主である」とイエスを宣べ伝えた。このとき宣教者イエスは宣教される者へと立場を変えている。弟子たちの教えは、なぜ他の宗教のように、師の教えの繰り返しではなかったのか。[1]

イエスの教説と使徒のケリュグマという二つの教えがあるのは何故かという問題提起に対して、ブルトマン門下の研究者たちは、イエスと使徒宣教の連続性の発見を課題に掲げて「史的イエスの第二の探求」を開始した。それは、イエスの教えの中に使徒宣教の中心である「イエスはキリストである」というキリスト論の予表を、[2] また逆に、使徒ケリュグマの中にイエスの教えの継承を見いだそうとする試みであった。[3]

ブルトマン学派の中心的存在であったE.ケーゼマンによれば、この試みはほどなく目的を達成した。

イエスと使徒の連続性を示す事実は、

「恵み深い神についてのイエスの説教の周囲に、またそれに基づいてなされた、モーセの律法とその解説に対する言葉と好意による批判の周囲に、また服従と愛への徹底的な要求の周囲に、そしてその奉仕の帰結としての彼の死の周囲に、固まっている」[4]

という。この試みに対してブルトマンは以下のように反論する。

「イエスの形姿に関していかに多くのことがらが獲得されようとも…それでもって何が到達されたことになるのであろうか」[5]

福音書時代の弟子たちはイエスが求める信仰に至らず、イエスを失った後にその信仰に達した。イエスと共にあった時に確たるケリュグマの獲得に至らなかったのであれば、イエスに関する知識はこれに役立たないということである。したがって、史的研究によってイエスについていかに多くのことがらが知られたとしても、そのことは使徒的信仰への到達とは無関係である。

また仮に、二つの教えの連続性が証明されるというのであれば、その一つは余計と判断されるのであって、それは新約聖書に教えが二つあることの説明ではなく、そもそもイエスの説教と使徒ケリュグマの断絶を認めていないことの表れにすぎない。

すなわち「イエスの史実は信仰を与えない」というのがブルトマンの主張であり、その論拠は、「把握可能な最初の段階は最古のパレスチナ教団」[6] であって我々はイエスについて「ほとんど何も知ることができない」[7] こと、それゆえ「イエス・キリストが人間に出会うところはケーリュグマ以外にはない」[8] こと、その「ケーリュグマは…『客観的歴史性』に関心をもつことはなく」[9]、信仰とはその「ケリュグマへの応答」[10] であり、その「使信の受容」[11] であるということである。

このように、ブルトマンは我々の信仰を、イエスに対するものではなく使徒の「宣教の言葉への信仰」[12] とする。

しかし一方で、イエスと使徒の教えに連続性を認めることが自然な見方であることも否定できないことである。

実際、保守派教会だけではなく、現代主流派教会の多くがこの見方に立っており、[13]「二つの教えの不連続」という問題意識は過去のものとなりつつある。これを提起するのが「聖書の非神話化」の思想によって悪名高いブルトマンであることが、この傾向を助長させているとも思われる。

しかしながら二つの教えの同一性を安易に認めることは、使徒行伝における使徒の信仰を、福音書時代の自然発生的信仰の延長とする見方とつながり、その結果、一世紀における教会発生をさしたる謎と見ないことによって、我々をキリスト教信仰についての「浅い理解」にとどまらせることになりはしないだろうか。

その浅い理解とは、弟子たちの信仰が使徒行伝以前も以後も同じであることは、福音書時代の彼らが範としたイエスの教えとケリュグマの連続性が示すところであって、結局、キリスト教信仰というものは、福音書での弟子たちや助けを必要とした人々の姿に見られる通り、教祖の働きに衝撃を受けたり困窮した状態にある者が神の力を信じるものであって、他の宗教と変わるところがないということである。

もちろんそれが事実であるならそれでよい。しかし人が劇的に変わるときというのは何らかの事情がそこにあるものである。我々は多くの場面で事を見過ごし、そこで捉えるべき真実を知ることなく済ませてしまう。キリスト教においても、その初期に存在した救いに関わる教義がたちまち失われ、それを回復するのに宗教改革までの実に十数世紀を要したという、にわかには認めがたい経験がある。教会初期の使徒の信仰の変化もまたその一つに数えられる可能性は十分に考えられるのである。

「イエスの史実は信仰を与えない」というブルトマンの主張は、しかし見方を変えれば当たり前のことを言うものに過ぎない。一世紀のパレスチナにおいてイエスに接したほとんどの人がそうであったし、弟子たちもまた同じ事態を自らに招いていたことは、当章 Prologue に述べた通りである。誰もイエスを前にしたからといってそれで信仰が持てるわけではない。

保守的な立場の教会では、イエスが弟子たちに信仰を与えたという理解を当然のこととしているので、「史的イエスと使徒ケリュグマの断絶」という問題設定そのものが理解されないが、[14] しかし保守派教会においても、イエスを知ることができさえすれば信仰が成立すると考えられているわけではない。というのも、親がキリスト者である家庭で育つ子供や、幼少時から教会学校に通い続けた子供が、必ずしも信仰に至るのではないことを教会は経験してきているからである。

一般に、イエスについて教えられた人は、老若を問わずイエスに自然な尊敬の思いを抱くのが通常である。しかし、そこから信仰へと至るためにはさらに何かが必要である。イエスと共にあった弟子たちにおいても同様であって、福音書時代の信仰から「使徒的信仰」に至るためには、イエスの働きや教えとは別に、何らかの契機を必要としたのである。

そして、「イエスの史実は信仰を与えない」というブルトマンの主張は、それがどのような印象を与えるものであれ、以下の事柄はまったく明白であり、この主張がそこへ結びつくものである限りは否定することはできないと考えられなければならないだろう。

それは、使徒および現在の我々の信仰には、イエスを見て分かることとイエスを見ても分からないことが含まれているということである。イエスが何を教えたか、イエスは奇跡を行ったか、復活したかといったことは、彼を見ていれば分かることである。しかし、彼がキリストであるのか、彼は神の御子なのか、十字架の贖いが有効なのかといったことは、いくらイエスを見ても分かることではない。

イエスと三年あまり生活を共にした弟子たちが、まさにこの状況に置かれていたのであり、それゆえ彼らはイエスの間近にいながらついに最後までイエスに対する判断を迷ったのである。

したがって「史的イエス研究」が史実のイエスを明らかにすることがあったとしても、また仮に、我々が過去に遡ってイエスの事実を確認するというようなことが可能であったとしてさえ、「見ても分からない」事柄についてはどうにもならないのである。イエスが自己証言をしていたとしても、あるいは彼がどのような自己意識を持っていたかが明らかになったとしても、それはただ我々を一段と迷わせるだけのことであるに違いない。

イエスが弟子たちに求めた信仰がご利益的なものではなかったということ、そして、ただイエスを見ることだけからは獲得することのできない「使徒的信仰」に使徒らが到達するためには、そういった自然発生的な経緯とは違う状況を必要としたということが、福音書と使徒行伝での使徒の変化から推認される事実である。そこでの信仰の変化は、初期キリスト教における極めて重要なできごとであったはずである。

これらのことのため、私は「二つの教えの不連続」の主張においてブルトマンを支持する。弟子たちの信仰過程における使徒行伝以前と以後の、これら二つの状態の断絶は探求されなければならない謎である。

とはいえ、これについてブルトマンが出した解決はまったく奇妙なものといわざるをえない。この点も、この問題を萎ませる要因となったことが否定できないのだが、とりあえず、以下にブルトマン自身による解決をみておこう。