第一部 信仰論 星加弘文

Chapter 3 使徒的信仰の成立 (6)

Proposition 1-Argument キリスト教命題1復活- 使徒の信仰成立原理「既知真理回復型」

ブルトマンと同時代の新約学者M.ディベリウスとC.H.ドッドによるケリュグマの指示は次のとおりである。[1]

(ディベリウス)使徒行伝2:23-、3:13-、10:37-、13:23-

(ドッド)   使徒行伝2:14-36、38-39、3:12-26、4:8-12、10:34-43

ケーゼマンが述べているようにケリュグマは多様であり、[2] 使徒書簡中にも散見されるが(Ⅰコリント15:1-5、ピリピ2:6等)、それらはおもに当時のキリスト者に対して語られたキリスト論教義としてのケリュグマである。

これに対して、上に挙げられたケリュグマは、ペテロとパウロ(パウロは13章のみ)が未信仰者(とはいえユダヤ教徒たちであるが)への宣教時に語ったものである。ブルトマンにおいては、主体的決断による信仰の成立ということに重点が置かれているので、これら未信仰者への宣教としてのケリュグマが考察の対象であったと理解される。

ではこの「使徒ケリュグマ」においては何が語られているのだろうか。その最初である使徒2:14-36をみるとおもに二つの内容からなっていることが分かる。

2:14-21 預言者ヨエルの預言の成就としてのペンテコステ

2:22-24 イエスの行状と復活についての証言

2:25-31 預言者ダビデの詩篇の成就としてのイエスの復活

2:32-33 イエスの復活証言とそれによるペンテコステの説明

2:34-35 ダビデの預言による復活の説明

2:36-37 未信仰者への訴え

このケリュグマは、旧約預言イエスについての証言旧約預言イエスについての証言旧約預言、というように、預言と証言を交互に繰り返している。実は、ケリュグマが、この「旧約預言の成就」と「イエスについての証言」という二つの要素から成り立っていることは他の使徒ケリュグマにおいても同じである。

3:12-17 イエスについての証言と主張

3:18-26 モーセ、サムエル、聖なる預言者たちによる預言の成就

10:34-42 イエスについての証言と主張

10:43          預言者たちによるあかし

このように全てのケリュグマにおいて構造の類似があることはすでに知られていることであるが、[3] 以下がこの論考で独自に明らかにされる部分である。

旧約預言成就部分の内容は説教の状況に応じて多彩であるのに対し、イエスについての証言は固定している。すなわち、多くの旧約預言によってイエスの神性を論証しようとしているわけだが、逆にいえば、それら様々な旧約の文言は、イエスが旧約聖書の神から遣わされたことの証明として、適宜、取っ替え引っ替え用いられているということである。

つまり使徒ケリュグマにおいては、個々の旧約預言の成就に重点が置かれているのではなく、重点は、イエスに関する証言に置かれており、旧約預言への言及は二義的なものなのである。実際に、使徒10:34-43のケリュグマでは旧約預言はただ1節述べられているだけである。

したがって、ケリュグマの中心はイエスについての言及部分であるといえるが、使徒はそこで何を述べようとしているのだろうか。

一つの著しい特徴がすべてのケリュグマに共通していることに注目したいと思う。確認のためその中心部分を全文列挙してみる。[4]

2:22-24(ペテロによる)

イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。ところがあなたがた自身がご承知のように、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、あなたがたは不法な者の手によって十字架につけて殺しました。(しかし)神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。

3:13-15(ペテロによる)

アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺しました。(しかし、)神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。

4:10(ペテロによる)

皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。

10:37-41(ペテロによる)

あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事がらを、よくご存じです。それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行なわれたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。(しかし、)神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現われさせてくださいました。しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。

13:27-31(パウロによる)

エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させてしまいました。そして、死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、イエスを殺すことをピラトに強要したのです。こうして、イエスについて書いてあることを全部成し終えて後、イエスを十字架から取り降ろして墓の中に納めました。しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。イエスは、ご自分といっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たちに、幾日もお現われになりました。きょう、その人たちがこの民に対してイエスの証人となっています。

これらのイエス言及部分をみると、先にケリュグマ全体を考察したときにみられたのと同じ構造がフラクタル(自己相似的)に存在していることがわかる。

すなわち、イエスの生前の行状と復活後の行状については、さまざまな表現がなされており、また使徒自身がイエス復活の証人であるという、極めて重要と思われる主張についても、2章では中心部から離れて(32節)述べられ、4章の短いケリュグマでは割愛されているというように、一定した記述とはなっていない。

したがって先の考えを敷衍すれば、これらイエスの生前の行状と復活後の行状は、いわば取り換え可能な部分だといえる。これに対し、上の全てにおいて固定して述べられているのは、

「あなたがたはイエスを殺した」しかし「そのイエスを神はよみがえらせた」

という部分である。しかも、ペテロケリュグマにおいてはその二つの文言は常に密着しており、間髪を入れず連続して述べられている。パウロケリュグマにおいては、前後間に他の文言が入ってくるが、その文言を越えて両者のつながりを強調するように「しかし(δε)」によって結ばれている。[5]

このことから、使徒ケリュグマの中心は「あなたがたはイエスを殺した。そのイエスを神はよみがえらせた。」ということであることがわかる。場面を変えて繰り返される宣教において常に固定した言い方がなされているということは、そこが宣教の中心であり、欠くことのできない主張点であったことを示しているだろう。

しかもこのことは、ケリュグマに対する解釈や特別な「読み」から導かれることではなく、上にみたように、ケリュグマの形式からいわば機械的に考察されることであり、これ以外の判断の余地を許さないものといえるのである。

そして、すべてのケリュグマにおいて、この部分だけがまったく同じ形で保存されているということはこれ自体驚くべきことだがケリュグマにおける著しい特徴がまさにここにあったことの印なのである。

そうすると、使徒、特にペテロはこれによって何を訴えようとしたということなのだろうか。

(あなたがたはイエスを殺した。しかし神はイエスをよみがえらせた。)

ここからは解釈になるが、この言明の意味は明瞭であり、特別な解釈を必要とするものではない。

この言明は、もちろん、ブルトマンが言うような逆説を主張したものではない。すなわち「イエスは死んだ、しかし彼はなお生きている」というようなイエスの生死についての逆説的主張、あるいは「ナザレ人イエスは神のキリストである」というようなイエスにおける人性と神性の逆説的キリスト論を提示することが主眼なのではないことは明らかだろう。

ここではイエスにおける二つの状態が対比されているのではなく、イエスに下された二つの判断が対比されているのである。そして、その判断の相違の意味するところが人々に訴えられている。

(あなたがたはイエスを処刑に値すると判断した。しかし神はイエスを復活に値すると判断した。)

これがペテロが人々に語ろうとしたことである。

あなたがたはイエスを信ぜず、私もまた生前のイエスに確信を持たずイエスを十字架にかかるままにした。十字架刑という人々の判決を認めてしまった。しかしそれは間違っていた。なぜなら彼はよみがえったからだ。私はその証人だ。イエスの復活は、神が彼を復活に値する者と認めたということ以外に理解のしようがあるだろうか

およそペテロが語ったのはこのようなことであるだろう。ペテロはなぜこれを語ったのか。

それは彼がこのことによってイエスに対する確信をもったからである。ペテロはこの復活理解によってイエスを信じ、そしてイエスを信じたこの理由を人々に述べることで、人々もまたイエスを信じることができると考えたのである。それゆえケリュグマとは使徒の信仰成立の理由を開示するものであり、「教え」ではなく「証し」なのである。

ここは正統教義を解説する場ではないが、しかしケリュグマについての上の解釈は復活の教義そのものである。それは「復活の意味」として見い出されてきたものの一つであって、「死の克服」(ローマ8.11)や、「終末時のよみがえりの初穂」(Ⅰコリント15.20)や、「罪人の新生」(Ⅰペテロ1.3)としての復活解釈よりも優先されるべき教義なのである。

したがってこのケリュグマ解釈は復活の正統教義を再確認させるものであり目新しいものは含まれていない。しかし正統教義の域を出ないということが重要である。正統の域を出て「史実と信仰」問題を解くことは、すでにブルトマンをはじめ多くの人々が行ったことである。

さて、聖書テキストの事実から知られるこのケリュグマ理解は「史実と信仰」問題に関して何を導くだろうか。以下にまとめてみよう。

第一に、ブルトマンが提出しブルトマン学派が答えようとした史実と信仰問題、すなわち史的イエスと使徒ケリュグマにおける断絶と連続の問題に完全な答えを導く。

ブルトマンは聖書になぜ二つの教えがあるのかと問うた。それは使徒の宣教をイエスの説教に並ぶ「教え」とみていたからである。

しかし、使徒のケリュグマは「教え」として提示されたのではなく、すなわち「信じ受け入れるべきもの」として提示されたのではなく、イエスが述べたことを真実として受け入れることの根拠を開示したものなのである。したがって新約聖書の教えは基本的にはイエスの教え一つであり、使徒のケリュグマはそれを受け入れる者の立場から、いかにイエスの教えを信じえたかを証しするものであったということである。

弟子たちにとっては、イエスが高邁な教えをたれればたれるほど、あるいはにわかには理解し難いことを言えば言うほど、彼を信じる敷居は高くなったといえるだろう。そのようなことはイエスを教師や預言者としてではなくそれ以上のものとして信ずべきことを要求するからである。ペテロがイエスの言葉を「諫める」場面(マルコ8.32)は、このような困惑を背景としたものである。

また、ケリュグマが「教え」ではないということによって、イエスの立場の逆転の秘密も解かれる。

すなわちイエスを信じる所以が語られたので、イエスは「告知される者」となったのである。「証し」が語られる段においてそれは当然のことであって、「証し」ではどのように信じえたかということが主題であり、信じえた対象は副題なのである。使徒ケリュグマでイエスが「告知する者から告知される者」となっているように見えるのは、ケリュグマが「証し」であって、それゆえ中心がイエスではなく「イエスを信じた理由」に置かれているためである。それは「宣教者イエス」の立場を覆すような種類のものではない。

第二に、ブルトマンが保持しようとした「信仰の絶対性」(ブルトマンは「正当性」という語を使っている)いいかえるならば信仰の「確信」が何に由来するのであるかということの答えも、上のケリュグマ理解が示している。また、信仰は単なる史実から生じるのではないという、Chapter 2-Easy Study 3で触れたM.ケーラー以来、保持されようとしてきた信念の正しさも上のケリュグマ理解によって保証される。以下、長くなるがキリスト教信仰における「確信」生成についての考察である。

ペテロの復活ケリュグマが最初に述べられているのはペンテコステ時(使徒2章)であるが、彼がこのキリスト論ケリュグマをペンテコステ当日に「聖霊降臨」によって得たとすることは適切ではないだろう。使徒行伝2章の記事が伝えているところからは、ペテロと他の使徒たちが、ペンテコステ当日にはすでに十分に整えられた状態にあり、イエスに対する確信を得ていたとの印象が持たれる。

というのも、ケリュグマの考察で確認されたとおり、ペンテコステ時のこの最初のケリュグマは理路整然としており、しかも、後に繰り返されるケリュグマと構造が同じであって、このことはケリュグマの内容が獲得されてからいくらか時間が経過しており、その間にケリュグマ理解の整理が進んでいたことを窺わせるからである。この使徒ケリュグマの端正さは、同箇所に記されている聖霊降臨による「異言」がもたらす混乱とは正反対の趣なのである。

したがって、ペテロが確信を抱いたキリスト論ケリュグマは、聖霊がその場にもたらした神秘的解き明かしというものではなく、通常の理性的な命題理解として捉えることが適当であると考えられる。では、ペテロがキリスト論ケリュグマとしての復活解釈に至る際に、彼にどのような力が働いたのか。なぜペテロはこの解釈を正しいと考え、それが彼の信仰の確信となったのだろうか。

イエスの復活が弟子たちにもたらした作用は二つあったと考えられる。一つは、ラザロのよみがえり(ヨハネ11章)で人々が経験したのと同様の、イエスのよみがえりによる喜びである。

しかしもう一つの作用が時間をかけて彼らの中で進行したと考えられる。それはラザロにおけるような[感情的-心理的]なものではなく[論理的-心理的]なものといえる。

イエス復活前後の弟子たちの心理指標

図1 イエス復活前後の弟子たちにおける二つの心理指標 

第一の指標は感情的心理指標で、図では「期待度」の高・中・低として示されている。「期待度」が高いときに喜び、低いときに悲しんでいるというニュアンス。イエス登場、復活時などで「高」となる。

第二の指標は論理的心理指標で、安定・不安定で示されている。これは弟子たちがもつ世界観の整合性の状態を示し、「不安定」はその整合性が破られている状態を指す。イエス登場時のメシヤ期待、イエスの死、復活において、弟子たちが抱いている信念の平穏はその都度破られる。

これら二つの指標を組み合わせると、イエスの宣教時には彼らの信念は「不安定」ながらも「期待度高」の状態にあり、十字架の死の直後は「不安定」かつ「期待度低」、イエスの死を受け入れた時には「安定」かつ「期待度低」といった状況にあったことを表現するものとなる。

ここで、弟子たちの心情の遷移パターンのうち、整合性が破られている状態から回復への移行(「不安定-安定」の遷移パターン)が重要である。この移行が「復活命題」の発見により「期待度高」の状態で実現され、それが使徒の新しい信仰を形成したと考えられる。

ペテロが知っている生前のイエスの印象は、強く神の刻印を帯びたものであった。十字架上の死はその心証を否定するものとなったが、イエスの復活は再びかつての心証を回復させることになった。

しかし、復活の事実そのものが与える心理的回復は、なお感情的なものにとどまり、彼自身を一新する力を持つものではなかったといえる。実際、イエスの復活後、ペテロをはじめとする弟子たちはガリラヤに帰り、もとの職業生活に戻ろうとしていたことが窺える。(ヨハネ21.3)

使徒が信仰の確信に至るためには、復活の事実よりもその理解が重要であった。イエスに対する神の是認」すなわち「われわれが仕えたイエスは人々によって殺されたが、神はイエスを復活に召し、いまや神がイエスをキリストとして証しされた」という「復活命題」を得たとき、ペテロはイエスはやはり正しく、またイエスに対して我々が抱いた印象は誤りではなかったことを確信し、それによりかつての信念が回復したのである。

ペテロはイエスの生前、すでにキリスト告白(マルコ8.29)によってイエスに対する正しい心証を抱いていた。ペテロにとって「イエスはキリストである」ことは過去に獲得されていた真理であったが、それは十字架上の死によって潰え、彼の心証は不安と疑いの中に置かれたのである。しかし「イエスの復活は神による彼への是認」という復活理解が、旧知の真理を再び回復させた。

すなわち失われた真理は回復され、その回復時に信仰が形成されるのである。ここでは真理が自らを取り戻そうとする力が信仰成立の力である。回復によって得られた信念の整合性は、その理解の正しさへの確信を与え、これが信仰の普遍性を形成する。[6]

イエスの復活による感情的な喜びは実のところイエスと肯定的な関わりをもった者にしか作用しないが、信念の整合性の獲得はイエスに対し否定的な関わりをもった者たちにも作用して使徒の宣教を聞いた「人々は心を刺されて」使徒2.37)とある彼らの悔い改めを促す力となりえたのである。

したがって使徒のケリュグマにみられる復活理解が弟子たちに信仰の確信を与えている。この確信を伴う信仰が彼らの信仰であり、我々に伝えられている「使徒的信仰」である。

そしてこの確信の部分に信仰対象由来のものではない「普遍」というべき信仰の堅牢性がみられる。史実は信仰を与えない」ということの正確な意味はこのところに存する。すなわちイエスは信仰を与えるが、それは基本的には「史実は信仰を与える」という原則に則ったものとしての自然発生的信仰である。しかし史実が与える信仰以上の信仰は、復活命題がもたらす信仰の確信から生じるのである。

ここでもう一度ブルトマンおよびブルトマン学派に話を戻せば、ブルトマンが使徒の信仰の変化を謎として問題設定を行ったことは極めて重要であった。しかし彼らはいずれもケリュグマを読み誤ったとともに、信仰の変化についても見誤ったといえる。

それは彼らがカント哲学の影響のもとに生前のイエスにおける神的事象を否定していたことによる。生前のイエスは神的であるはずがなく、したがってイエスの回りではそれに見合った信仰が抱かれていたにすぎなかったが、後に突如、使徒の間に神的信仰が広まったとみることから、そのように「史実以上の信仰」が生じたことが非常に大きなこととして見えたのである。その結果彼らは、見えるところによって発生する信仰から見えないものを信じる信仰への変化ということを、使徒の信仰の変化とみたのである。

しかし一般に、信仰というのは、その当初から目に見える以上のことを信じるのが普通であることを考えれば、イエスの回りにいた人々が、福音書の描写通りにイエスを神的な存在として捉えていたことに不自然さはない。そうすると問題は、福音書時代において使徒たちがすでに神的信仰を抱いていたとすると、その後の信仰の変化とは何であったかということである。そして上に見てきたように、その変化とは「目に見える以上の信仰にさらに確信が加わったこと」だったのであり、これが解かれるべき謎として設定されなければならなかったのである。

この点でブルトマンとブルトマン学派は使徒の変化の内容を捉え損なっていた。それぞれが与えようとした解決の点で、ブルトマンはケリュグマを「イエスの教えを意義あるものとして受けとるための問い」とすることでイエスの教説とケリュグマの断絶を保持し、ブルトマン学派は「イエスが教える生き方をケリュグマが受け継いだもの」とすることでそれらに連続性を与えるという違いがあるが、いずれも「実際のイエス以上の信仰が生じたのはなぜか」ということをケリュグマ問題の出発点としている点で同じ見誤りに立っているのである。

史実と信仰の隔たり

図2 史実と信仰の隔たり 

※ブルトマンとブルトマン学派は解かれるべき謎として、使徒的信仰形成の本来の謎②の代わりに、謎①を誤って設定した。彼らは謎①の「神的使徒信仰」を「史実以上の信仰」とみるが、当論考では謎②の「確信を獲得した使徒的信仰」を「史実以上の信仰」とみる。

構成主義的史的イエス」「実在論的史的イエス」については次章参照(Chapter 4-Consideration 3)

当節の終わりに「イエスの復活が使徒たちに新たな信仰を生じさせた」とする誤った理解について触れておく。

この理解を「誤っている」とするのは現時点では言いすぎであることは確かだがというのも私が知る限りすべての教会がこのように教えているからであるが厳密を期していえばそれはやはり誤りである。それは次の一点を考えれば明らかである。

すなわち、もしイエスの復活という奇跡が使徒の信仰を新たにしたというのであれば、その新たな信仰というのは、福音書時代の奇跡によって彼らがイエスに抱いていた信仰と同質であり、かつ、その信仰の延長にあることになる。それらはいずれも奇跡による信仰だからである。

するとこの場合、福音書時代に彼らがしっかりとした信仰をもてなかったのは、ただ生前のイエスにおいては奇跡の偉大さが足りていなかったためということにもなる。イエスが生前に行っていた奇跡ではもの足らなかったので使徒たちは確たる信仰に至れなかったが、復活というこの上なく大きな奇跡を見せられた以上は鈍感な彼らといえども信じないわけにはいかなくなったということで、これは使徒たちの信仰を不遜なものとしてしまうだろう。

死んで見せ、復活して見せて初めて持てる信仰というのであればそれはいわゆる「業の信仰」というべきものなのである。そしてそれ以上に重大なこととして、この見方は、生前のイエスの奇跡の意義を正しく評価していないという問題を抱えることにもなるだろう。

したがって使徒たちが新たな信仰を得たのはイエスの復活によってではなく、イエスの復活について彼らが得た解釈によってであるとするのが正確なのである。彼らがイエスのよみがえりを喜んだことが新たな信仰の契機となったのではなく、自分たちをある意味、悩ませ苦しませたイエスという突出した存在に対する理解を獲得したことが、彼への新たな信仰の契機となった。

また、「三度のイエス否認という挫折を経たことがペテロを新たにさせ使徒宣教に至らせた」という、やはり教会で教えられる誤った理解についても触れておきたい。これも「誤っている」とするのは明らかに言いすぎで、それは誤っているのではなく、理解が不足しているのである。

この理解は使徒行伝後のペテロの変貌について、ある意味では最も良質な解釈を与えている。確かにそれは文学的でもあり人々に訴える力を持つ。

しかし使徒の変化のすべてを心情的なものとして了解しようとすることには問題がある。それは聖書を文学に解消することとなり、キリスト教を別のものとして理解する道を開くことになると私は思う。

というのは、おそらくペテロの変化を純粋に心理的なものとして受け取ろうとするとき、いいかえれば新約聖書を純文学のように理解しようとするとき、人はイエスの復活というできごとを何か余分なことのように感じるはずと思うからである。

チェーホフの『大学生』に語られたペテロ、イエスの処刑時にさえ「寝穢く(いぎたなく)[7] 眠りこけたペテロが、その主への裏切りという苦しい記憶を胸の奥底にしまい込んで新たな信仰に立ち上がろうとするとき、むしろイエスはよみがえることなどなしにその最期を遂げたということである方が、彼の「もう二度と主を裏切ることはしない」というけっして繰り返しの許されない決意をいっそう際立たせたことであろう。

文学的な感覚からいえば、再生者の決意というのは悲劇に支えられたものである方が好ましくみえるものである。しかし新約聖書の実際の記事は、イエスはよみがえり、弟子たちは喜び、ペテロは三度の否認を帳消しにする三度の信仰告白の機会を与えられたことを伝えている。

そこで、イエス昇天後に人前に姿を見せた彼らは、悲壮な決意に立つ人々というのではなく、自信に満ち、まるでかつての弱々しさなどなかったかのような、過去の自分を否定した図々しさとも見える風貌をもつ一団として登場するのである。

つまり新約聖書の記事は文学的な物語の型と噛み合っていない。キリスト教は文学ではなく、文学的感覚からは興醒めさせる側面を持っている。ペテロの変化にはそのような文学的枠組には収まりきらないものがあり、チェーホフの小説のような優れた文学作品をもたらしうる側面を持ちながらも、しかし彼らの信仰回復の源はそこにあったのではないということが見て取られなければならないのである。

それゆえ使徒の信仰の変化は[感情的-心理的]なものだけでなく、そこに[論理的-心理的]な変化、すなわちイエスに対する信念の整合性の獲得ということが加わったものなのである。