第一部 信仰論 星加弘文

Chapter 3 使徒的信仰の成立 (13)

    補論3 物語形式福音書とマルコ福音書結尾問題

 頁内目次

〈1.福音書はなぜ物語形式なのか〉

〈2.マルコ福音書の末尾は欠落しているのか〉

〈1.福音書はなぜ物語形式なのか〉

史実のイエスはなぜ物語の形態で書かれたのだろうか。

イエスを後世に伝えるのに福音書のような形式ではなく、イエスの語録集とか使徒の説教を基にしたイエスの行状の断片集といったものでもよかったのではあるまいか。むしろその方が史的イエスの実像に近いのではないか。というのも、福音書がそういった断片を資料として成立していることは、聖書批評学の古典的研究においてすでに明らかにされているからである。

なぜ、われわれは史的イエスを知るのに、原始教団によって相当程度、再構成された「イエスの生涯」という時系列形式の福音書を読まなければならないのだろうか。そうでなければならない必然性があるのだろうか。これが当節の最初の問題である。

福音書が史実風に書かれたことに関しては、ブルトマン学派のE.ケーゼマンが次のように述べている。以下は『新約神学の起源』イエス 2史的イエスの意義への問い」の部分要約である。[1]

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(p.78-79)

イエスの歴史とケリュグマは「福音」という大概念のもとに置かれている。ヨハネ福音書の記者ヨハネは、ケリュグマに地上のイエスの福音という装いを与えた。福音書という形式は、原始キリスト教における初期の告知形態ではなく、比較的後期のものである。それが成立したのは、原始キリスト教における一部の熱狂主義が、地上のイエスはなくてもよいと考えたことに対する反動としてである。ブルトマンの言うように、もし史的イエスが重要な問題ではなかったのだとしたら、どうして手紙や語録ではなく福音書が書かれねばならなかったのだろうか。

(p.90-91)

ケリュグマが地上のイエスの形姿を保存していることを述べようとすると、ブルトマンは、ケリュグマの正当性は史実によって保証されなければならないものではないと反論する。私(ケーゼマン)もそれに同感であり、神的性格をもつケリュグマの内容を顧慮すれば、ケリュグマが史実を伝えているということの立証は、むしろケリュグマに対する冒涜ですらある。しかし、私がケリュグマと史的イエスの関係を問題にするのは、そのような意図ではなく、地上のイエスがケリュグマの規準とされているかどうか、またどの程度までそう言えるかという観点においてである。

(p.92-93)

パウロそしてヨハネにおいても地上のイエスが重要視されていないようにみえる(ケーゼマンはヨハネ福音書の史実性を認めていない)のは、彼らの時代に彼らの使信の規範となっていたのが「聖霊」であることによっている。しかし、聖霊は如何ようにも解釈可能であるため、それ自体が別の規範を必要とするものであることから、パウロとヨハネはそれぞれの仕方で「聖霊」を――パウロはイエスの十字架の出来事によって、ヨハネはイエスのことばによって――地上のイエスと結びつけることで、キリスト教使信が自由な逸脱に陥ることを防いでいる。ヨハネは、当時の教会的告知(それは多分に奔放であるような霊的権威の主張によって導かれていた)に対し、史的イエスを対置するという論争的意図でヨハネ福音書を書いたのである。

(p.95-96)

ヘレニズム教団に属していた共観福音書の記者たちも同様の問題に直面していた。熱狂主義的告知に対抗するものとして、すなわち、正当な使信と誤った使信を区別したり、霊的権威の主張の検査として、最初の弟子たちの伝承が大きな神学的意義をもつようになっていったことが福音書成立の動因となった。ケリュグマを生んだ力であった(ペンテコステの)聖霊は、史的伝承の中で語るイエス、という福音書が提供する規準によって置き換わられていく必要があった。したがって、これら福音書に記されたイエスは歴史的信憑性や資料としての価値をもつことはほとんどないが、ただ、最初のキリスト教使信の保持の規準としての価値を有する。それが「史的イエス」が歴史的体裁による提示として福音書を成立させた経緯である。

(p.99より)

史的イエスが後のケリュグマや福音全体をもたらした、というのではないけれども、やはり彼の言葉と行為、また彼の身に起こったことは、後の福音の中心点を指し示しており、その意味で、熱狂主義と戦う教団にとって、この福音の規範として用いることのできるものだった、ということである。」

(p.105-107)

ブルトマンは福音書において採録されるべきイエスの歴史は「神の意志の要求」の伝達者としてのイエスであると考えている。しかしその主張が正しかったとしても、そのことのためには訓戒的なイエスの語録の蒐集がその役目を果たすのであり、物語福音書としての福音書成立の動機の説明にはなっていない。福音書が単なる伝承集以上のものであることの、神学的問題は依然として謎である。熱狂主義との対論における歴史的形態の神学的有効性ということがその答えでなければならない。

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ケーゼマンの論旨は、福音書が物語形式であることの理由は、物語という形式がもつ史実的装いというものが、当時の教会事情において必要とされたということである。

福音書が物語形式で書かれなければならなかったのは、ペンテコステ(教会誕生の契機となった「聖霊降臨」のできごと)の霊に導かれていることを主張したり(Ⅱコリント11.4)ユダヤ的律法主義への回帰が起こる(使徒15.1)などの、教団内のグループが見せる種々の傾向に対処するため、使徒が保有するイエス伝承の固定が必要とされた。

教団は、福音書によって、イエスに結びつけられたものとしての「信仰の規準」を作成しようとした。そして、信仰者の「霊的解釈」によって改変されないような固定した規範を可能とするのは、歴史的姿をしたイエス、すなわち物語形式の福音書だったということである。[2]

しかし、このケーゼマンの主張は、史的イエスの必要についての論拠の一つとしては肯定できるとしても、福音書が物語として書かれなければならなかったことの説明としては弱い。確かに、ギリシヤ思想との接点を持っていた初期ヘレニズム教団が、グノーシスの影響から仮現論に陥ろうとしたり、ストア主義などの啓蒙的思想に変遷していく可能性にさらされていたことはパウロ書簡から知られる。

特に、ケーゼマンはコリント教会の霊的熱狂主義に触れて、それへの対抗として史的イエスの固化としての福音書という論拠をあげる。しかし、そこから導かれるのは、何らかの形での史的イエスの保存が必要であったということであって、史実のイエスが物語の形式で保存されなければならなかったということではない。自由な解釈を許さない規範としてであれば、例えばイエスの語録は有効に機能したと考えられるからである。

そして次の点が重要であるだろう。「仮現論に陥らないため」「啓蒙主義に陥らないため」「霊的熱狂主義に陥らないため」「律法主義に陥らないため」という、初期教会が陥ろうとしたこれら様々な傾向への対処のためにはケーゼマンは、そういった思潮が初期教会を席捲していたことの証拠としてパウロやペテロやヨハネの書簡をあげているのだが実にそれらの使徒書簡こそが、それへの訓戒を目的として書かれたのであったということである。

それゆえ、「~に陥らないため」に何がなされたかという教会の歴史的事情の説明としては、物語福音書の創設ではなく、これらの書簡が書かれ、その中で直接的な訓戒がなされたことを挙げるのが適切なのある。すなわち、先の要約の最終段落でケーゼマンがブルトマンに対して述べる批判は、そのままケーゼマン自身の説明に対しても当てはまる。

福音書を、これら誤った道からの回避を目的に書かれたとすることは、福音書の役割の設定としては矮小にすぎる。福音書は新約聖書中におけるその文書量と質的重さからいって、「信ずべき方を知らせる」という大目的のために書かれたとする以外には、すなわちケリュグマが指し示す信仰対象の提示として書かれたとする以外には、その役割を正しく見積る見方はない。もちろん一つの事柄が一つの目的しかもたないということはないから、福音書は「~に陥らないため」という種々の目的のためにも役立ったことであろう。しかしそれは主目的ではない。

また、「熱狂主義に陥らないために福音書が書かれた」というケーゼマンの主張を、その主張どおりに受け取り、物語形式の福音書が書かれたことの理由としてみた場合には決定的な矛盾があることになる。

まず、ケーゼマンが共観福音書を含め、特にヨハネ福音書の史実性を否定している点を確認しておく。

共観福音書著者たちにおいても)最初の弟子たちの伝承が、正当な使信と誤った使信とを批判的に区別したり、いろいろな霊を検査したりすることを可能にするのである。(略)ここでもまた言えることは、こういう伝承が、信憑性という点で、われわれに対して文書的資料価値を有するということはほとんどない…」[3]

「ヨハネはそれを、地上を歩んでいるイエスの語られたものという想定にしたのであり、伝統から受け継いだ、奇跡物語と受難史と復活物語という構成から成っている、福音書という形態に作り上げたのである。真正であるという意味での史的なものが何も含まれていないということは、ここでは何ら問題にならない。歴史化しようとする全体の構成こそ、説明を要するものなのである。しかしそれは、『イエス』を当時の教会的告知と対置しようという、論争的意図を仮定する以外に、説明の方法があるだろうか。」[4]

「ヨハネが、地上のイエスの福音という装いをケリュグマに与えたのは(たとえその際そこに書かれた何事をも事実に見せようとしてはいないにせよ)偶然ではない」[5]

福音書の史実性に対するこれらの否定的な見方については、ここでは問わないことにしよう。ここで私がケーゼマンの主張の矛盾として指摘するのは次のことである。

教団内のさまざまな熱狂主義や霊的奔放に対抗するために、歴史上のイエスの提示が有効であると考え、そのために史的姿をしたイエス像を史実形式を装って書いたのだとすることは、イエスの史的重要性を主張するのに非史実をもって行ったということを主張するものだが、その見方は初代教会が行った宣教と教えについての見方として、根本的に重要であるものを損なうことになるのではないか、ということである。

史的であることが信仰を熱狂主義から救うのであれば、その「史的であること」を提示するそれは架空や創作であってはならない、というのは当たり前のことであるだろう。なぜなら「史的であること」は、それが事実であるということによってのみ、その役割を果たしうるからである。

しかし、上の引用に明らかであるようにケーゼマンは、福音書の物語を史実とはみなしていない。そしてもし「史的であること」が装いや創作であってよい、すなわち「史的であること」において重要であるのはその事実性ではなく、それがもつ効果であるというのであれば、われわれは、原始教団のこの行為を、証しとか宣教ではなく画策と呼ばなければならないのではないか。

しかし、われわれは彼らの行為を、そのような画策としてではなく、イエスの宣教行為を継ぐ史的連続性のうちにみているはずなのである。その効果面だけを期待して「史実風に装われた史的イエス」を「固定した事実」として霊的熱狂主義者に突きつける、ということが本当に目論まれているのであれば、その目論見は虚偽的行為と言わなくてなんであろうか。

したがって、「史実そのままではないのにあたかも史実であるかのような装いをしている」福音書の形態この事実はある程度は認められるべきではあるがを正当化するためには、別の理由が見いだされなければならない。その史的な装いは史的事実の提示のためであってはならない。それは矛盾である。

そして、もしそれについてケーゼマンの言うように、矛盾ではなくまさにそれが目的だという立場をとるのであれば、それは初期教団の宣教というものを人々の信仰を得るための画策行為として理解しているということなのである。これが、ケーゼマンの見解が、初代教会の宣教を根本的に損なうものだと先に述べたことの意味である。これらのことのゆえに、ケーゼマンの主張は支持しがたい。

「信仰対象を知らせる」ために書かれたという、ごく自然であり、誰もがそう思うところのことが福音書の主目的として主張されないのは、それが当たり前にすぎるということだけが理由なのではなく、キリスト教信仰における信仰対象が持つ意味と役割が明確に理解されていないからである。そのため神学者たちは特殊な理由を求めたがる。

信仰対象イエスの存在が知らされなければならないのは、第一に、イエスが実在でなければイエスに対する解釈、すなわちイエスへの信仰もあり得ないからである(Chapter 3 - Ricercare)イエスは救い主である、というのはイエスに対するキリスト教の解釈である。しかし、イエスの実在という歴史上の事実がなければそれに対する解釈は存在のしようがない。したがって、イエス昇天後に生きる人々には、信仰の対象としてのイエスの存在がまず教えられなければならない。それがあって初めてイエスに対する解釈を受け入れるかどうかを問題にできるのである。

このために最もふさわしい形態がイエスの伝記そのままではないが、またドキュメンタリーというのでもないがこれらの形態での伝達が叶うのであればそれがよかったと私は思うがイエスの教えと行状に関するエピソード集の形式だったといえる。

それは今どき風に言えばテレビのいわゆる “情報バラエティ番組” で目にする、事件やゴシップの「再現ドラマ」である。この「再現ドラマ」という概念が、福音書の物語形式を最もよく言い表す現代的概念だと私は感じる。イエス昇天後の人々は、イエスの「再現ドラマ」を通じて、彼は救い主であるのか、神的キリストなのかというイエスに対する解釈的判断に直面できるようになる。

それゆえ個々の「再現ドラマ」の内容は事実でなければならない。ただし「再現ドラマ」と「再現ドラマ」のつながりは事実そのままでなくても許容され、このところにドキュメンタリーや伝記と福音書の構成の違いがあるのである。また、福音書が史実そのままではないと私が理解する理由もこれである。

信仰対象イエスの存在が知られなければならない第二の理由は、キリスト教信仰が二段階信仰であるためである(Chapter 4 - Review)使徒的信仰に至るためには、まずその第一段階としてイエスの業と教えを知らなければならない。それなしに、使徒ケリュグマの「イエスはキリストである」という宣教だけから信仰を獲得することは、少なくとも使徒の信仰の獲得の仕方ではない。

彼らは3年余をイエスと共に過ごした。その間にイエスに対するかけがえのない、しかし、後に至る使徒的信仰からはなお不足であるところの信仰心をイエスに抱いたのである。これが彼らにおける信仰の第一段階目である。後代の者においても、同様に、イエスに対する自然発生的なこの信仰の段階が必要である。

そのためには、弟子たちがイエスを経験したのと似た形でイエスを知ることが望まれる。それを可能にするイエスの提示形態が物語形式なのである。語録集など、他の形式でのイエスの提示では、人々に弟子たちのイエス体験を追体験させることは難しいだろう。

もう一度まとめておく。キリスト教信仰すなわちイエスに対する解釈の受容の、その判断材料としてはイエスの主張や教えではなくイエスの行状が与えられなければならないが(マタイ11.3-4、Chapter 3 - Proposition 5参照)イエスを救い主として受け入れることは我々の側の主体的な判断でなければならず、そのためにはイエスが何をどのように行ったかが知られなければならない。それも単なる知識としてではなく体験のようにして知られることが望まれる。

このところにはケーゼマンが述べるのと同じく、福音書が与える効果が期待されている。すなわち小説などの文学作品がそうであるように、イエスを知らせる宣教においては、事実であるという最低限の真実性が保たれる中で、それが物語形式で提供されることが最も有効な効果をもたらす。このことが、イエスが物語形式の福音書によって伝えられている第一の理由である。

第二の理由は、二段階キリスト教信仰のその第一段階目を人々にもたらすためには、読者がイエスを経験的に知ることができる形式でイエスが伝えられなければならないということである。福音書が「再現ドラマ」形式であることによって、イエスは絵画や紙芝居にも再々構成されることが可能である。それらを通じて、イエスの弟子たちが3年余イエスと共に過ごしたのであるように、我々も子供、大人にかかわらず一定期間イエスの学校に入るのである。そこで育まれるイエスへの信仰が、使徒後の我々におけるキリスト教信仰の第一段階を形成する。

そしてマルコ福音書についてはさらに第三の理由がある。

〈2.マルコ福音書の末尾は欠落しているのか〉

マルコ福音書の最大の謎は、その末尾が失われているように見えることである。四福音書の中で、マルコ福音書だけがイエス復活後の顕現の記事がない。イエスの遺体を納めた墓が空になっていたという記事で終わっている。これはマルコ福音書の欠けと見られてきた。本来はマルコ福音書にもイエス顕現の記事があったが、それが何らかの理由で失われたというのである。

G.N.スタントンは「かなりの数の現代の学者は(略)マルコ物語の最後の頁が失われてしまったに違いないと主張している。こうした謎解きの解決案も可能ではあるが、マルコは畏怖と驚愕の記録で終わろうと意図したと考える蓋然性の方が高い」として、自らは現行の末尾がマルコ福音書の真の終わりである可能性に言及している。[6]

しかし、その論拠は、空の墓の後の出来事として、イエスが受難前に、復活の後、自分を捨てて散り散りとなった弟子たちとのガリラヤでの再会を告げていたことの成就であることが明らかであるから、それをあえて語る必要はなかったというものである。「イエスが逮捕される少し前に与えられた約束が、今や成就しつつある。それ以上、何を語る必要があろうか」と、同箇所でスタントンは述べているが、マルコ福音書末尾の不自然さの説明としてはあまりに弱い論拠である。確かに、書かれていなくてもガリラヤでの師弟の再会が果たされることは予測されるところだが、しかしそれをあえて書かなかったマルコの意図についてはやはり理解し難さが残る。

当論考が、第一部 Chapter 3で明らかにしたのは、キリスト教信仰はペテロのケリュグマをその始まりとするということである。

「あなたがたはイエスを処刑した。そのイエスを神はよみがえらせた。(使徒2.23-24、3.15、4.10、10.39-40)

あなたがたはイエスを処刑に値するとした。しかし神はイエスを復活に値するとしたのだ。

この訴えをもってペテロは人々に宣教した。これは、使徒にとっても解きがたい存在であったイエスについての彼らが見出した答えなのである。

マルコは新約聖書中にも登場する人物であり、彼がペテロら使徒群と関係の深い人物であったことはよく知られている。また、パピアス-エウセビオス伝承によれば、マルコ福音書はマルコの手によるペテロの説教の写しであると言われている。[7] これらのことは、マルコ福音書とペテロケリュグマのつながりを推測させる。

当論考 Chapter 3 - Proposition 1で、使徒行伝に伝えられている複数のペテロケリュグマが復活命題を等しく保存していることが発見されたが、これはマルコ結尾問題に新たな光を照らす。私の考えは「マルコ福音書はペテロケリュグマをその答えとする問いの書として書かれた」ということである。

当該箇所に明らかにしたとおり、使徒ケリュグマは使徒による新しい教えというのではなく、使徒がイエスを「信じた理由」の証しである。イエスがキリストであるという確信へと彼らを至らせたところの、その理由と結論の提示である。すると、この使徒のケリュグマを答えとするところの問いが存在しているべきということになるのではないか。

ペテロは、イエスについて語る説教を人々への問いかけとしていた。ペテロは生前のイエスの行状と言葉を人々に伝え、このナザレ人イエスはいったい何なのかと人々に問いかける。それは、かつてペテロ自身が、「わたしを誰だと言うか」マルコ8.29)とイエスから問いかけられていた、まさにそのことである。

そしてペテロはイエスの復活後、彼をキリストと確信する理由を見いだし、これを復活ケリュグマとして彼の宣教の中心に置いた。つまり彼が説教で伝えるイエスは「イエスは誰か」という人々に対する問いの提示であるのに対し、彼が語るケリュグマは彼が見いだした答えなのである。

マルコはそのペテロの説教を福音書にした。その内容は、ペテロが抱いたイエスに対する「あなたはキリストなのか」という不確信をモチーフ(動機)とするものである。それゆえ問いとしてのマルコ福音書は、答えとしてのペテロケリュグマと対の関係にあり、ペテロケリュグマを答えとするところの問いであるという見方が成立する。

マルコ福音書はイエスへの信仰の誘いの書であって、それだけで信仰を成立させるものではない。マルコ福音書において謎としてのイエスが提出され、ペテロケリュグマにおいて、それへの答えを見いだすということが、使徒ペテロにおける復活信仰の構造なのである。

ここで先段の問題に立ち戻ってみたい。福音書がなぜ史実風になっていて、しかも史実そのままでなくてよいのかという問題であるが、それは、福音書が人々への問いとして有効に機能するためには、イエスは箇条書きによる断片的な姿としてではなく、まとまりのある一人の人物として提示されなければならないからである。

すでに世を去った人物を、問われるべき一つの謎として人々に受け止めさせるには、その語録や伝承片では困難であるだろう。人々に何かを問いかけようとする文学上のドキュメンタリーがそうであるように、イエスは断片的情報としてではなく、また箇条書き風の語録集としてでもなく、顛末を持つ一つの完結したストーリーとして人々に物語られなければならないのである。

その人物が、民衆の「驚き」に裏打ちされた生前の重要性といったものを持たず、ただ死んだのがよみがえったというだけの状況しかないのであれば、その人物のよみがえりについて「神の是認」という解釈を訴えたところで、それは人々に何の重みももたらさないだろう。ペテロが語るイエス解釈としてのケリュグマの説得性は、人々のイエスに対する「彼はいったい何だったのか」という関心によって担保されている必要がある。この関心を作り出すこと、すなわち人々に「イエスは誰か」と問わせることこそがマルコ福音書の目的なのである。

また、もしマルコ福音書が物語ではなく、資料断片や語録の集成からなるものであれば、当然ながらそれは、そこに伝えられようとしたイエスの人物像に人々の関心を向けさせることになるだろう。そのような一風変わった教えをしたイエスとはどんな人物だったのだろうかということである。しかしイエスが十分に物語られ、その人物像としての輪郭が明瞭なのであれば、イエスの人物像そのものは問われることがなく、読者の関心をその先に進ませることができる。すなわち「この人物はいったい何者だったのか」と読者に問わせることが期待できるのである。

こうしてイエスは物語られなければならなかったゆえに、イエスの登場場面には時系列と地理的配置が添えられ、結果として史実風の体裁をもつ福音書が生まれた。つまり、福音書の史実風の体裁は史実を装うことが目的なのではなく、イエスを物語として示すことで、一つの問いを完成させることが目的だったということである。そしてこのことが、先に触れた、マルコ福音書が物語形式であることの第三の理由である。

マルコ福音書において一つの場面から次の場面へ移行する際には、それをつなぐための簡単な接続句が使われ、時間と場所の枠組が設定されているが、そのごく短い句、例えば「ただちに」「そして」「すると」「そのころ」「立ち去る」「出る」などによる場面間の接続について、それによって福音書の文の前後関係と対応した正しい歴史的順序が指示されているとみることは、その接続句に対する過大な要求であるだろう。

それらの句は、それによって、その情景の前後関係が正しい史実であることを読者に思いこませるのが目的なのではなく(前段に、ケーゼマンがこのことが福音書が書かれた目的であるとしていたのを見たが)複数存在するイエスの各場面を物語の体裁として提供するためのものにすぎない。この点では、ブルトマンが「マルコは単純な並列、場所の結合、時間の結合によって伝承を処理した」[8]と述べていることに私は同意するし、そこに問題を感じる必要はないと考える。

ただしこの時、史実風であるが実は史実ではないということが許されるのは、それらの場面をつなぐ時間的場所的展開に関わる接続句に関してのことであり、その句によって継がれた各場面そのものについては、相当程度史実に基づくものでなければならないことを、念のために付け加えておきたい。もし、これらの各場面の大半が史実に照らして根も葉もないことだということが確かなのであれば(ブルトマンは『共観福音書伝承史』でそのように述べているが)私の解釈はまったくおめでたいものと言われるべきである。

さて、マルコ福音書がペテロケリュグマをその答えとする問いである、という私の見方に妥当性があることは、実際にマルコ福音書を読んで、それが与える独特の印象に触れた者にとっては、容易に了解できることであると私は考える。

4福音書における、それぞれの後半部分はイエスの受難と復活に関連する記事によって構成されている。したがって、そこにも細かな点で多くの相違はあるものの、受難と復活は4福音書の共通要素である。すると、4福音書のそれぞれの特徴というものは、各福音書の前半部分に見いだされるということになる。マルコ福音書の内容的特徴も、その前半に集中してみられる。

9章32節まで、マルコ福音書は「あなたはいったい誰か』と問う人々と悟らない弟子」というモチーフに貫かれている。ここにいたるまで、イエスによるいわゆるキリスト教的な教えというものは少なく、記されているイエスの言葉は、イエスの行動が引き金となって起こった宗教者との論争と、いつまでも無理解である弟子たちに対する教育的な戒めである。

まとまったたとえ集である4章は、「見るがわからず聞くが悟らず」「隠されているのは明らかにされるため」「解き明かし」といったモチーフに基づいており、イエスをどう理解するかという9章までの内容についての、読者に対する隠喩として構成されている。

独立したイエスの語録資料(Qと呼ばれる)を豊富に含むマタイ福音書、ルカ福音書とは異なり、マルコ福音書前半のこれらのイエスの言葉は、イエスの驚くべき行動に対する否定的評価や不信に伴って生じた付随物といえ、そこでの主題は、イエスの言葉ではなく行動に置かれているのである。

マルコ福音書は奇跡のオンパレードであり、それに戸惑う弟子と驚愕する人々の姿が次々と登場する。圧巻は「いったいこの方はどういう方なのだろう」という句に導かれて始まる5章である。

イエスはゲラサ人の地の墓場近くで大量の悪霊と対決したのち、イエスに恐怖心を抱いた土地の人々から、その地を去るように求められる。ガリラヤ湖の対岸に渡ったイエスは、病気の娘をいやしてほしいと請われてある会堂管理者のもとへ赴くが、その途上、彼に群がる群集の中で「力が外に出ていったのを感じて」誰がわたしにさわったのか、と言ってあたりを見回す。みながあなたに押し迫っているのにそのようにおっしゃるのですか」と弟子たちは訝るが、なお見回していると一人の婦人がイエスの前に出て、病気の癒しを願って着物に触れたことを打ち明ける。婦人にことばをかけているとき、会堂管理者のもとから「娘は死んだので来ていただかなくてよい」という知らせが届く。イエスは赴き、取り乱す人々に「子どもは死んだのではない」と言って嘲笑を買うが、死体が置かれた場所に入り、人々を出した後、声をかけてその子を起きあがらせる。マルコはそのときの反応を次のように記している。

「彼らはたちまち非常な驚きに包まれた。」(マルコ5.42)

5章だけで、イエスの行動に対する人々の驚愕、恐れということが四度(ゲラサ人たち、デカポリスの人々、病気の婦人、会堂管理者の家の者たち)弟子の戸惑いが一度(押し迫る群集の中で)記されている。イエスに対する「驚き」の直接的な記述は、その他に1.21、1.27、2.12、4.41、6.2、6.51、7.37、9.6にみられる。8章29節のペテロのキリスト告白を境として、マルコ福音書の記事はイエスの行動から教えへと移行していくが、それ以降、「驚き」の記述はなく、最終章に至って、空(から)の墓を訪ねた女性たちが無言でその場から逃げ、誰にも事実を告げなかったことについて「恐ろしかったからである」16.8)と記されているのをみる。そして、これがこの福音書の末尾となっている。

イエスへの「驚き」という現象と並行して、イエスの正体についての憶測と躓きの状況について、マルコ福音書はやはりその前半部に繰り返し記している(2.6、3.21、3.22、3.30、6.3、6.14)特に6章14節には、イエスについて多くの人々が「バプテスマのヨハネ」「エリヤ」「昔の預言者のような預言者」とうわさしていたと書かれている。

「悟らない弟子」についての記事は、3章での十二弟子の任命後、4章の悟りのたとえに続く嵐を静める奇跡の直後から始まる(4.41)このモチーフに基づく記事は驚愕するような大きな奇跡の後に書かれているのが特徴である。6章の五千人の給食に続く湖上歩行の奇跡の後(6.52)そして8章の四千人の給食の後にも「悟らない弟子」が記されている(8.17-21)

8章29節の変貌山でのペテロのキリスト告白の場面はマルコ福音書の一つの頂点であるが、その直後にはペテロがイエスを諫めるくだりがあり、ペテロの告白での「悟り」がまったく不十分であることが示されている。その状況が9章32節まで続き、それ以後、マルコ福音書の中心はイエスの教えへと移行していく。

つまり、人々の驚きと不信、弟子たちの戸惑いと悟らなさの記事を通じて表明されてきた「イエスは誰か」の問いは、確かな答えを得ることのないまま残されて、11章からのエルサレム入場、そして受難へと突入していくのである。

さて、現行のマルコ福音書16章は20節まで記されているが、9節以降は写本上の証拠から2世紀の作であることが知られている。したがって16章8節が、本来のマルコ福音書の末尾ということになるが、その8節の「恐ろしかったからである」という結語が唐突な終わり方に感じられることは、後代によって9節以降の追加文が書き足されたことからも窺える。

先に触れたように、この唐突にみえる終わり方の合理的な説明としては、それが早い時代からその状態にあったことから、写本が綴じ本形式ではなく、まだ巻物であった時代に、その形状上の特性から結尾だけを失うということが起きたのではないか、とするものが多い。この「真の末尾は失われている」という説明は、保守的な教義にとっては、聖書が聖霊の特別な導きのもとに「神のことば」として書かれながら、なぜその本文を神は守り給わなかったかという点で理解しがたい、という難点を持つと思われるのだが、保守派編纂になる『新改訳聖書』の注解でもこの説が採用されている。

しかし、上に見てきたマルコ福音書の特徴から考えれば、空の墓を前に「恐ろしかったからである」と述べる結末は、福音書前半の「イエスは誰か」というモチーフに常に付随していたところの人々と弟子の「驚き」のモチーフの復帰であることが明らかである。この点では先に引用した「マルコは畏怖と驚愕の記録で終わろうと意図したと考える蓋然性の方が高い」と述べるスタントンの見方は同意できる。

しかし、ここでマルコが記述を途切れさせているのは、この後の出来事が書かずとも明らかだから、などというスタントンが示すぞんざいな理由によるのではなく、「驚き」のモチーフを福音書の最後にもう一度配することで、この書がイエスへの問いとして完了することを意図したからであると私は考える。

その句は、まさにぽっかりとあいた空の墓のように読む者に空虚感を残し、読後の問いをうながしているのである。そして、この福音書が問いの体裁をもって終わろうとしたものなのであれば、「恐ろしかったからである」という16章8節の末尾は、マルコ福音書の真の結尾である可能性がある。

また、誰もが知るマルコ福音書の特徴はと言えば、他の3福音書と比較して「短い」ということであるだろう。手元の『新改訳聖書』では、マタイ58頁、ルカ61頁、ヨハネ51頁に対してマルコは36頁であり、他の福音書の6割から7割の分量しかない。マルコ福音書だけ、なぜ短いのだろうか。

もちろんその答えは、イエスのまとまった語録集であるQと、復活後の顕現物語がマルコにはないからである。ではなぜ語録と顕現物語がないのだろうか。それは単に、マルコ福音書が最初の福音書であることによる歴史上の事情から、マルコがそれらの資料を持たなかったということなのだろうか。

しかし、この福音書がペテロの説教の筆記者マルコによって書かれたという伝承が正しければ、実際の事情はその正反対であると考えられる。それゆえ、マルコの手元にイエスの語録や顕現の資料がなかったとすることは、この福音書が短いことの合理的な説明ではないだろう。それらはペテロの説教から取り入れることが可能だったはずだからである。

ここで確認されるべきことは、キリスト教哲学の立場において当論考が求めているのは、歴史的事情ではなく、問題の論理的・合理的な解明だということである。先に扱った史的イエスの必要という問題においてもいえることだが、その歴史的事情の説明として、例えば、福音書が書かれた時期と、イエスを直接知る人々が時代の経過により死去していく時期が重なっていることから、それらイエスの証人の記憶がこの世から失われる前にイエスの史料が書き残されねばならなかった、という説を掲げることについては何らの反対をするものではない。それは、21世紀初頭の日本において第二次世界大戦の証言者についてよく経験しているところであり、最も常識的な理解であるだろう。

しかし、この解明において必要とされているのは、なぜそれらが記録されなければならないと人々が考えたのかという心理的・歴史的な説明ではなく、その論理的な説明である。心理的・歴史的説明は、必ずしも、それによって残された記録が現在において意義をもちうることの説明とはならないが、論理的・合理的説明が見つかるならば、それは現在の我々に対する意義を示すものとなる。

この解明は、記録を残そうとする当事者においてよりも、後世においてそれを受けとる者において重要である。体験が失われてはならないと考えてとりあえず記録を残した、ということで当時の人々はその責任を果たしたといえるが、受けとる側は、それが保存されたことの合理的・必然的な意味を見いださない限り、それを単なる歴史記録以上のものとして理解することはできない。それゆえ、ケリュグマと史的イエスの連続性の問題(Chapter 3 - Review 1)においては、それらの史実的なつながりの説明ではなく(それは当然つながっている)「信仰のキリスト」をもたらすとされたケリュグマがありながら、なぜ史的イエスもまた必要なのかが問われ、その合理的な説明が求められたのである。

マルコ福音書が他の福音書と比べて内容に乏しい(イエスの大がかりな説教と復活後の顕現がない)ということの理由についても、福音書記者がその資料を持たなかったからだ、という著者周辺事情の説明に満足するのではなく、それを含まないことがその文書において合理的であるような理由が見いだされなければならない。

マルコが他の福音書の粗雑な写しとみられていた近代聖書学以前の時代とは異なり、現代の聖書学におけるマルコ福音書は、他の福音書の原資料としての揺るぎない地位を築いている。しかし、それは資料としての価値評価であり、福音書としての意義が理解されたものとは必ずしも言えない。マルコが他の福音書記者よりも少ない資料の制約の中で、独特な意図をもった福音書を書き上げたとみることは、マルコ福音書の内容を歴史的事情からそうなるべくしてなったものとみることであり、また、その理解は誤りではないかもしれない。しかし、そう考えて全てを納得してしまうことによってマルコの積極的な意図が見落とされるかもしれないのである。

そこで、マルコ福音書がイエスの語録と顕現記事を持たないのは、それらのものが、マルコが意図した「問い」の性格を福音書から奪うものだからだというのが私の理解である。

復活者の顕現物語は、謎として提示されたイエスに、ある種の結論を与えることになる。しかもその結論は、容易に、悲劇的生涯を果たした英雄の復活神話として受け取られてしまうようなものであることは想像に難くない。

福音書は読者にイエスを提示するものだがしかし逆説的にそのイエスが読者にとって解決とならないことが必要なのである。なぜなら、イエスと共にあったときの弟子たちがそうだったからである。彼らにとって生前のイエスは答えではなく問いをもたらす謎であり続けた。それゆえ彼らはイエス生前には使徒的信仰に至っていなかったのである。Chapter 3に明らかにしているように、イエスを失って後に答えを見いだすというのが、使徒たちの信仰獲得経緯である。

そこでマルコ福音書によって投げかけられた「イエスは誰か」という問いの後、イエスの復活は単によみがえった事実を伝えるのではなく、必ず、イエスに下された二つの判断というペテロケリュグマの理解の下に伝えられなければならないのである。この解釈なしに語られるイエスの復活は、それ自体が答えとして人々に受け取られることになるだろう。民衆の悪意によって殺されたイエスはしかしよみがえった、めでたしめでたし、ということである。

しかしペテロはイエスの復活の事実を証言するとともに、彼に下された神の判決という復活解釈を語った。それが彼の信仰の確信となっていたからである。その訴えにおいて、最も直截的である部分は口頭による宣教、すなわちケリュグマが受け持つのである。その核心部分を福音書に持たせることには困難がある。なぜなら事実についての解釈的な説明は、出来事の提示に重点を置くマルコ福音書の形式になじまないからである。

これらのことを勘案すると、マルコ福音書はケリュグマの準備として、ペテロの復活説教に環境を備える事前配布文書だったということが一つの見方として可能であるだろう。

また、マルコ福音書が山上の説教などのイエスの語録をもたないことも、同様の理由によるとみることができる。イエスの美しい説教は、人々に生きることについての指示と慰めを与える。この指示と慰めという奨励セットは、読者に一つの納得を与え、読者はそれを福音書のメッセージとして受け取るのである。読み手は、人生上の戒めと励ましをイエスの言葉の中に探し求めて、その両方を見いだす。

しかし、実は、イエスの言葉についてのこの受け取り方は、キリスト教に関する道徳主義的理解を生じさせる。それは福音書だけからキリスト教を理解しようとするときに起こる危険性を示しているのである。

イエスの説教は、罪人たる者にとっては言葉通りに実行できるものではないので、本来はそれ自体が矛盾を孕む一つの困難として受け取られなければならない。そして、その答えは倫理的・意志的にではなく宗教性において、すなわちパウロの義認論およびヨハネ福音書などの聖霊論において見いだされなければならないものなのである。

これに対して、マルコ福音書ではイエスのまとまった説教を含まないことにより、人生についての完結した答えをそこから引き出す危険が避けられているといえる。空虚な墓の記事で終わるマルコ福音書を了解するためには、この福音書の外に解決を求めなければならないからである。

したがって、使徒的信仰のためには、イエスの生涯を記すことと同様、イエスの顕現記事を記すことも直接には役立たない。それは使徒における使徒的信仰の確立がイエスの復活という出来事そのものによるのではなかったことに付合する。むしろイエスの復活と顕現を福音書に記すことは、それを読む人に、イエスの死に対する安易な解決を与えてしまうことになる。復活という顕著な出来事がペテロケリュグマへの道を塞いでしまうのである。

イエスの生涯と復活は、ペテロの復活ケリュグマと結びついて初めて人々を使徒たちの信仰に至らせる。また、イエスの生涯と復活は、パウロによる十字架のキリスト教命題と結びつくことで初めて人々を使徒的信仰に至らせるのである。いずれにしても福音書単独ではそこに至れない。むしろ復活の記事は、教会初期におけるキリスト教命題の主流であったペテロケリュグマへの道の妨げとなりかねない。そして、実際、それは教会の歴史に起こったのである。

キリスト教会を誕生させたペテロの復活命題が、現代に伝えられているいずれの歴史的信条にもその痕跡が残されていないことは、Chapter 3 - Succession に述べた通りである。これは承服し難い謎というべきだが、上に述べてきたマルコ福音書に対する理解は、ペテロの復活解釈(復活命題)があっけなく歴史から消え去ったことの理由を説明するものでもある。

というのは、マルコ福音書に続く他の3福音書が、イエスの語録と復活後の顕現を雄弁に伝えていることが「イエスへの問いとしてのマルコ福音書+答えとしてのペテロケリュグマ」という初期信仰成立原理から、その効力を奪うこととなったと考えられるからである。

ちょうど、ある事柄を探求し続ける人が、その成果が評価されることで、彼の内で何かが達成されてしまい、その本来の探求が鈍るというのに似て、マルコ以外の3福音書を読んだ人々は、本来はそれが目指されるべきではなかったことを答えとして獲得してしまう。それは以下のようである。

まず、マタイ福音書は使徒ケリュグマの全体がもつ構造をそのまま拡大したものといえる。使徒ケリュグマは旧約聖書によるイエス預言をイエスのキリスト論証として持つが、マタイ福音書は、多くの箇所で旧約預言を引用し、イエスのできごとの意味づけを行っている。したがって、使徒ケリュグマがユダヤ人に向けられたものであるように、マタイ福音書もユダヤ的背景を持つ人々に対してイエスを提示したものといえる。しかし、マタイ福音書では、もはやマルコが持っていた問いの性格は消えており、使徒ケリュグマをその答えとして必要とするものではなくなっている。むしろ福音書そのものが、旧約預言、イエスの奇跡、教え、復活と顕現といった、ペテロケリュグマの復活命題を除く各部分を十二分に展開したマタイによる巨大ケリュグマとなっているからである。

次に、ルカ福音書はヘレニズム的な福音書と言われるが、マタイ福音書がもつユダヤ的論証に対応するような、何らかのギリシヤ的論証もつわけではない。ルカ福音書はイエスの論証に主眼があるのではなく、その冒頭に記されているように「教えが事実であることを知らせる」ということに徹したもののようにみえる。その意味では、史的イエスが必要であることの論理的理由というものにもっとも忠実な福音書であるといえる。史的イエスが必要であるのは、それによって直接的に信仰が成立するためというのではなく、信じる対象が何であるかを知るためであるからである。ルカは信じるべき理由や論証に熱心なのではなく、信じるべき方の提示そのものに熱心であるといえる。それゆえ四福音書中、最も豊かなイエス像を提供している。しかし、皮肉なことに人々はそのイエス像に満足を覚えるのである。

ヨハネ福音書はその冒頭からイエスの正体を明らかにしている点で特異な福音書である。イエスは「ことば」「神」「光」「いのち」「道」「真理」などの概念によって述べられている。マルコを「隠された福音書」とすれば、ヨハネは「暗示された福音書」である。マルコでは秘匿されていたことがヨハネでは照らされている。ヨハネは「これらのことが書かれたのはイエスが神の子キリストであることを信じるため(20.31)とその目的を明らかにしているが、そのための方法としては「しるし」としてのイエスの七つの「わざ」を記述している。つまり、ヨハネは、はじめからイエスを種々の概念により神的存在として提示するのであるが、イエスがそういった神的存在であることについては、イエスの奇跡によって信じられるべきとしている。行状によってイエスへの信仰を訴えるという点では、ヨハネ福音書はその神秘的装いに反してマルコ福音書の方法に近いといえる。しかしヨハネ福音書は、最初から答えを明らかにしていることで、その答えをなにゆえに信じることができるのか、という、ペテロケリュグマがまさにそれを伝えようとした信仰の形成理由を飛ばすものになっているのである。

これらマルコ福音書以外の3福音書を読むと、それぞれが宗教書としての一個の完成物であるという印象を受ける。マタイ福音書はイエスによる新しい律法の書として、ヨハネ福音書は現在的終末論として読むことが可能である。ルカ福音書は人々に好ましい師イエスを提供する。

当稿の見方からすれば、それは「信ずべき方イエス」を提示するものであって、信仰の第一段階の形成に不可欠な情報をもたらすものである。しかしそれらがマルコ福音書にはあったイエスに対する問いを人々から失わせる効果をもたらしたことは否定できない。

あるいはマルコ以後の3福音書がそのような「発展」をしなければならなかったのは、マルコ福音書がその答えとしていたところの、ペテロケリュグマの有効性が減じることに対応したものであったといえるのかもしれない。

Chapter 3 - Succession に示したように、ペテロケリュグマはユダヤ教徒向けの信仰成立原理である。「マルコ福音書+ペテロケリュグマ」による訴えは、この上なくユダヤ的である旧約預言による論証とは異なるものの、やはり「神の正しい審き」というユダヤ教の信仰を前提する。

ギリシャのアテネ伝道でその限界を知らされたパウロは復活を知らないことにしてイエスの死、すなわち十字架の教義だけを語るようになった。それは、ペテロの復活ケリュグマの役割は、教会誕生のごく初期の立ち上がり時に限定されていたのであり、それ以後は十字架の贖罪教義にその役割を譲ることになったということであったのかもしれない。それゆえペテロケリュグマは歴史から失われることが許されたのであるようにも思えてくる。

しかし、現在、イスラエルがユダヤ教国家として存続していることを考えれば、この見方は支持できない。イエス復活についてのペテロケリュグマは、旧約聖書を信奉するイスラエルの人々に対しては、なお有効であるはずだからである。現在のユダヤ教に対するキリスト教伝道は、かつてペテロが行ったのと同じく、イエスの復活が神によるイエス是認の証であることをもって宣教の内容とすべきである。

それゆえ、ペテロの復活命題が20世紀以上もの間、歴史から失われてきたことは、パウロの十字架命題が16世紀まで失われていたことと同じく、教会の聖書の読み方に責が帰されるべきであり、これについての教会の責任は重いとしなければならないのである。

マルコ福音書はペテロケリュグマを必要とする「答えのない福音書」であり、マルコ福音書一書だけでは、ちょうどイエスの生前に彼の回りにいた人々がそうであったように、我々は、イエスについての解答を手にすることはない。そこに他の福音書の役割が生じ、それらは結果的に、ペテロケリュグマなしに信仰を喚起しうるものとして書かれることになったということができる。しかし、それらの福音書が持つことになった豊かさと自己完結性は、平板なキリスト教信仰の源泉ともなったのである。