第一部 信仰論 星加弘文

Chapter 3 使徒的信仰の成立 (11)

Proposition 5 キリスト教命題5 讃美

旧約聖書の詩篇は、これを現代詩的な感覚で読むとき、なぜこれが「詩」と呼ばれるのかが理解し難いようなものだといってよいかもしれない。そこには言葉に対する新しい感覚や表現の新鮮さといったものは特に見あたらず、気の利いたアフォリズムのようでもない。

各詩編のところどころに「遠くの人のもの言わぬ鳩』の調べに合わせて」とか「滅ぼすな』の調べに合わせて」などと注釈が記されているのをみることで、これらが「詩(うた)なのだということを理解する。また多くの詩篇が「ダビデの賛歌」と記されているところから、これが当時に伝えられていた讃美歌であることを知るのである。

讃美詩篇として有名な詩篇8篇では、神をほめたたえるのに「人とは何者なのでしょう」といった人間の有限性が対比的に表現されている。また、19篇、51篇、77篇など、多くの詩篇で神への讃美に対比されているのは「だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう」、「ああ、私は咎ある者として生まれ」、「私のたましいは慰めを拒んだ」などといった人間の罪についての意識である。

121篇、126篇などの「都上りの歌」では「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのだろうか。」というように、主ヤハウェによる回復とイスラエルの無力が対比関係に置かれている。

つまりすべての詩篇は(といってよいと思うが)私と神」という二者関係において神への希望が歌われており、神はことば豊かに美辞麗句をもって讃えられているというよりは、人間の限りあること、罪ある存在であること、空しさなどとの対比において讃えられている。

またその際、神は我々の内なる存在というのではなく、どこまでも外なる存在であって、希望の歌としての詩篇は外へ外へと向かって歌われる。この性質が讃美としての詩篇に上方指向的な発露性を与えているといえる。

「空しさと神への希望」という旧約讃美の構造は、新約聖書の中にも見い出される。マタイ福音書11章20―24節は、イエスがガリラヤ湖北部の三つの町コラジン、ベツサイダ、カペナウムで宣教した後、人々が悔い改めなかったためにこれらの町を「責め始め」る場面である(20節)。

イエスは同じ業(わざ)が仮りに異邦の地で行われていたとしてさえもっと多くの悔い改めが起こったはずだと嘆き、さらにイエスの居住地と考えられているカペナウム[1] については、「創世記」に登場する悪の都市ソドムの方がましだとさえ言う(24節)。しかし25節に入るとイエスはなぜか突然神を讃美し始めるのである。

マタイ11.24「しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」

マタイ11.25「そのとき、イエスはこう言われた。天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを賢い者や知恵ある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。」

ここでの、絶望的言明から讃美への急な展開は理解しがたく感じられる。あるいはここには、福音書原資料の不備などに起因する何かがあるということなのだろうか。

そこでルカ福音書の並行箇所をみてみると、この疑問が解消されるかに思われる。ルカ福音書10章では12―15節に町々への非難が記されているが、飛んで21節から讃美が記されている。つまりルカ福音書ではイエスの絶望と讃美は切り離されているのである。

そしてその間には、イエスが送り出していた七十人の弟子たちの帰還の記事が入っている。弟子たちはその宣教の成果を報告し、そこでイエスは弟子たちに喜びについて教えた、となっている。

つまりイエスの讃美はカペナウムなどに対するイエスの非難から急展開したものではなく、七十人の弟子に対する教えという展開の中で自然に行われる形になっているのである。

ではどういうことなのだろうか。マタイ福音書では、ルカ福音書にある七十人の弟子たちの喜びの帰還という、あるべき段落が欠落していて、そのためにイエスの憤りと讃美が不自然に密着してしまったということなのだろうか。

それとも、元来はこのマタイの展開が正しく、ルカが何らかの理由から、ここに七十人の帰還の記事を挿入したということなのだろうか。

私は二つの理由から、マタイ福音書の形式が本来の展開であったと考える。

一つは、ルカ福音書の編集上の性格を根拠とするもので、ルカは自分がわかりにくいと感じた資料記事をより理解しやすい形に改変する傾向があり、この部分もその一つである可能性があると考えられるのである。

このことは、聖書の複数の写本において異同がある場合「より短いもの、不自然とみえるものが真正である」という本文批評学の原則から導かれる判断でもある。写本の作業過程においては、その写筆者が不自然と感じられたものを自然な形にしたり言葉を付け足すことはありえると考えられるが、自然な文をわざわざ不自然に、あるいは元の単語を削ってしまうことは考え難いとされている。

そこでマタイとルカの箇所を比べてみると、マタイの方が七十人の帰還の記事がない分だけ「短く」、またイエスの憤りと讃美が密着しているので「不自然」とみえ、こちらが真正と判断されることになる。

ルカによる「自然な改変」の例は、イエスと同時代の預言者であったバプテスマのヨハネによるイエスへの質問の場面にも認められる。

洗礼者ヨハネが「待つべきメシヤはあなたですか」とイエスに遣いを送って問いただしたのに対し、イエスはそれに直接答えず、自分の宣教活動の内容を確認させるだけの申し送りを行った。この一見すると理解しがたく思われるイエスの応答は、「疑問に対して自分の主張を返すのではなく再判断のための材料を提示する答え方」であり、実はまったく適切な対応といえるものである。それゆえ、以下のマタイの記事は真正のものと考えられる。

マタイ11.3「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」イエスは答えて、彼らに言われた。

マタイ11.4「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。」

しかしルカ福音書では次のようになっている。

ルカ7.20 「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも私たちはなおほかの方を待つべきでしようか。」とヨハネが申しております。

ルカ7.21  ちょうどそのころ、イエスは、多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、また多くの盲人を見えるようにされた。

ルカ7.22  それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」共同訳)

21節がマタイにない部分だが、注解者ブルトマンはこれがルカによる挿入であることについて次のように述べている。

「とくにルカはこのとらえ方を、7.21を付加することによって、無器用な仕方で表現した。」[2]

ルカは、おそらくはマタイ福音書のようになっていたと思われる原資料を理解しにくいものと考え、イエスの答えが自然になるように21節を付加したとされる。しかし、これによってルカの記事は、21節で述べたイエスの行状を、22節後半でもう一度イエス自身のことばとして繰り返すという冗長な構成を引き起こすことになった。

先のマタイ福音書11章20節からのイエスの絶望と讃美の急展開の場面についても、ルカの並行記事は同じ傾向を見せているということができる。つなぎの句として「ちょうどこのとき」ルカ10.21)、「ちょうどそのころ」ルカ7.21)という句が使われていることも、ルカが同じような性質の記述をこれら両箇所に付加したとの印象を強める。

これらのことからルカは、イエスの嘆きの後に「さて、七十人が喜んで帰ってきて、こう言った」から始まる記事を挿入し、弟子たちの喜びをイエスの讃美へとつなげることで、嘆きから讃美に急展開する理解しがたさを緩和したと判断されるのである。

しかし、これによってルカ福音書からは、マタイ福音書に保存されている「理解し難さの中に秘められている真実」というものが失われた可能性がある。

先に見てきたとおり、福音書と使徒行伝における使徒の変化の理解し難さの中に、キリスト教信仰の重要な性質が隠されていたのであるように、嘆きから讃美への急転換こそ讃美の本質を示している可能性があるからである。

さらに、マタイの記事の方を真正と判断する二つめの根拠は、「絶望からの讃美」という同じ形式が回心者パウロの書簡中にも認められることである。パウロはローマ人への手紙7章に次のように書いている。

ローマ7.24「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救いだしてくれるのでしょうか。」

ローマ7.25「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。」

ここにみられる24節から25節への展開も極めて急である。

24節のことばは、そのはるか前の15節「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」から綿々と続く自己嫌悪的な文章の終わりである。

それがようやく終わったところで、突然「ただ神に感謝します」となっているのが、やはり唐突であり理解しがいたい印象を与えるのである。ここには感謝を引き起こす理由が見あたらない。しかも、これはパウロ書簡であるから、他の書簡や福音書のようなめんどうな文献的問題がなく、これが本来の形であることについての異論はないのである。

そこで讃美というものが、イエスとパウロにおいて、絶望の中から具体的な希望の芽のないまま唐突に起きているのが実際であり、これが聖書における讃美の基本的な形であると理解されるのである。

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。」ローマ4.18)

讃美は感謝とは異なり神の恵みへの応答というのではない。讃美は神の絶対性への応答であり、自身の状況にかかわらずただ神の真実であることを認め、自分に対する望みは神のその真実に託すのである。

神の恵みに条件づられたキリスト教の感謝は、カントの「仮言命法」に似ているが、「現実如何にかかわらず神をほめたたえる」という讃美は「定言命法」に似た絶対性を帯びている。

かつて私は「幸せでなくて歌が歌えるのか?」「それは心からのものか?」と問うたが、絶望にありながらそこで希望を抱くことは可能である。神の変わらぬ誠実に目を向ける神への讃美は、詩篇にみるとおり、旧約時代以来の歴史を持ち、ここに信仰を新たにさせるものがあることは古くから知られていたのである。

「そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を牝鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。」ハバクク書3.17-19)