第二部 信仰と理性論 星加弘文

Chapter 4 超越的認識の可能性 (13)「現象と物自体の分離」思想の考察

Section 5-1  超越論的原理論 第一部門 超越論的感性論」

「超越論的感性論」には空間論と時間論が置かれ、対象の与えられ方が論じられる。

空間と時間は客観ではなく我々の主観が出現させた観念的表象であり、直観[1] のア・プリオリな形式であることの証明が述べられる。

直観とは、例えば視覚表象など、外界対象と結びついた観念を指す。視覚表象は感覚であり経験がもたらす経験的(ア・ポステリオリ)表象だが、しかしそこに含まれている空間と時間は経験的対象に由来したものではなく、我々の主観が視覚表象の形式として付与したもの、すなわちア・プリオリなものとされる。これにより空間、時間を考察対象とする数学的認識の確実性が説明されることになる。

また、空間と時間が概念ではなく直観表象であることによって、我々の認識における拡張性が保証されることにもなる。概念は、すでに与えられている対象を悟性が思惟する際の表象であり、アンセルムスの本体論的証明のように対象が概念を通じて与えられるとすること、つまり概念が認識を拡張するということはないためである。

空間と時間が、経験由来ではなくア・プリオリであること、概念ではなく直観(の形式)であることに関するカントの証明は次のようなものである。

空間が主観由来のア・プリオリなものであることについては、空間がすべての対象認識に関わっていることから、空間は対象ではなく対象の条件とみられるべきであるとされる。また、対象のない空間は考えられるが空間そのものがないということは考えられないことから空間は対象と由来を別にしていると述べられる。

空間が概念ではなく直観であることについては、複数の空間というものを考えることはできず、複数の空間とは常に唯一の空間の一部にほかならず、したがって、空間の認識は個の認識であるということ、そして認識が個物として与えられるのは直観の特質であって、概念は複数の個物の抽象として成立するものであるから空間は概念ではないと主張される。また、空間は無限でありえるが無限という概念は困難であるため、空間は直観であると述べられる。

以上をカントは「形而上学的解明」と呼ぶが、これらは確実とみなされる考察を出発点とし、演繹推論によって帰結を導く証明であり前件肯定式型の論証を形成するものである。

続いて「超越論的解明」という証明がなされるが、こちらは「超越論的」すなわち『純粋理性批判』の立場に立つことによって具体的には、空間をア・プリオリな直観形式であると考えることによってはじめて説明できるようになる事象について述べるという方法がとられ、仮定を用いる後件肯定式型の論証である。

数学はア・プリオリな総合判断だが、これが可能であるのは、空間が直観でありかつア・プリオリであるからで、もし空間が概念ならば、空間を用いる幾何学は図形によって認識を拡張させるような総合判断を行えないことになるが実際にはそうではなく、またもし空間がア・プリオリでないなら幾何学は確実な学問ではないことになるが実際にはそうではないことが述べられる。

以上の二つの「解明」については納得するのが困難な部分もあり、例えば、岩崎は「空間があらゆる対象の根底に存するということを認めるとしても、それは外的対象の普遍的性質であると考えても成り立つことであり、空間の主観性の論拠にはならない」と述べる。[2]

B.ラッセルは、対象のない空間は考えられるが空間そのものがないということは考えられないというカントの議論を、「なにが想像できてなにが想像できないか、といったことはいかなる真剣な議論の根拠にもなり得ない、とわたしには思える」とシニカルに反論する。[3]

なお、カントは同様の議論を時間についても繰り返す。「超越論的感性論」において空間論が優先して述べられているのは、空間は直観の外的形式、時間は内的形式とされるため、経験としての外界対象の認識には空間がより直接的に関わるためと考えられる。