第二部 信仰と理性論 | 星加弘文 |
大陸哲学の合理論的傾向は自然科学の影響によるものだったが、自然科学自体は経験的観察を基礎とするものである。イギリス経験論は自然科学におけるこの経験重視の姿勢を取り入れるが、その後、この哲学は自然科学を基礎づける方向にではなく、その確かさに疑問を投げかける方向へ進むことになる。
このところにイギリス経験論の特異さがあるが、それは中世神学と関わりが深い当時の西欧哲学が、いかに合理的認識を至上としていたかの表れといえる。
ロックの哲学は「生得観念」を否定する点で、理性が何らかの神的な真理を担っているとみる十七世紀のケンブリッジ・プラトン学派などのイギリス理神論の立場とは一線を画すものであった。またそれは「心に書き込まれた神の律法」というユダヤ・キリスト教の伝統思想についても否定した。
「生まれながらの精神は白紙であって知識は経験からのみ得られる」という彼の思想は、それまでのデカルト、ライプニッツらの合理論哲学とは明らかに異なる立場を築くもので、ラッセルによると「ロックの時代には、精神はあらゆる種類のことを先天的に知っていると考えられていたのであり、知識はまったく知覚に依存していると彼が唱えたことは、革命的な新説であった」とされる。
とはいえロックの知識観のうちの相当部分は伝統的見解を踏襲したものであり、当時の哲学的常識に適うものであった。彼は知識には三種類があり、精神については直感的に知ることができ、神の存在については論証的に知りえるとした。
つまりこれら二点は、デカルトが述べていたことをそのまま引き継いだものである。経験論者としてのロックの関心は、伝統的実体の第三の概念である外界(物質)の認識に向けられていた。彼は外界に関する知識の成立を次のように述べる。
――我々の心は観念以外の対象を持たないのであるから、認識とは観念に関する何らかの知覚である。観念は、経験において獲得する感覚とその反省から得られる。したがって知識とはその観念同士の比較における一致または不一致に関する反省的知覚である。――
大陸哲学と同様に、ロックにおいてもデカルトが「判明」と述べた心的な観念が重視されており、外界の認識は、この観念性を基礎として考えられていた。
経験はどこまでも不確実な認識であって、感覚が与える物の観念は物の正確な像ではなく、形、大きさ、剛性という点では正しいが、色や音、匂いなどは主観的なものであるとされた。そして前者を物に属する第一性質、後者を知覚者の中にのみ存在する第二性質とした。
概してロックの認識論は通俗性を保持する面があり、理論としての首尾一貫性という点では徹底しない部分があった。物質の第一性質、第二性質という考えは、知覚が外の世界を、我々におおよそ正しく教えてくれるとするもので、デカルト以来、懸案となっていた精神と物質、観念と実在の関係を厳密に規定するものではなかった。
ロックは神および精神の存在は確実だが、物質については感覚を通じて認識されるゆえに確実ではないとしていたが、バークリにおいては、この物質の存在が否定される。
すべての認識は感覚を通じて得られる観念に基づくというロックの基本的考えと、それにもかかわらず、固さや延長などの観念は物そのものに属するとする、物質の第一性質に関する彼の主張が折り合いの悪いものであることは明らかであった。
バークリはこの不整合を、第一性質と第二性質を分ける理由はないとすることで解消しようとする。彼は、物質に関する認識とみられるすべてを観念であると考えても何ら不都合が起こらないことをいくつかの議論を通じて述べる。
我々が知覚するのは光と色と形だけであって、それらの原因を知覚しているわけではなく、存在は「知覚」として定義でき、外界や物質が、我々の観念表象以上のものとして主張されるいかなる理由もないとされた。
この考えを別様にいえば、夢と現実を区別する基準はないということになるが、バークリの場合は、ロックまでの哲学者と同様に神の存在を支持しているため、神の知覚が常にあることにより万物は確かに存在するとされる。夢が我々の観念であるように、世界は神の観念なのである。
カントは『純粋理性批判』の中で「観念論論駁」という一節を設けて、このバークリの観念論を「独断的観念論」として退けたと述べている。
この節は『純粋理性批判』の第二版が発行される際に新たに書き加えられたものだが、それは初版が旧来の観念論と同様の説として受け取られたことによる。諸学の基礎づけを目的とする『純粋理性批判』が、自然は神の夢であるなどという観念論と一緒にされることはカントにとって我慢のならないことであったと想像される。
しかしカントにとって最も困難に思われ、それゆえ『純粋理性批判』を著す直接のきっかけとなったのは、バークリの観念説ではなくヒュームの因果説であった。
通常、因果関係とは事物同士の関係を指すが、ロックやバークリの立場を徹底すると、因果関係は事物同士の関係ではなく、事物についての観念同士の関係ということになる。
同様に、ヒュームは因果関係にあるとみられている二つの事象においても、我々が本当に知覚しているのは、原因および結果とされるところの独立した二つの知覚観念であり、それらが空間的・時間的に近接して知覚されるということであって、その二つの事象間にあるとされている「必然的結合」なる観念はその知覚の中に含まれていないと考えた。
したがって、我々がA、Bという二つの感覚印象に関連づけを行って、Aを知覚した際に続けてBの知覚を予期するのは、同様の知覚を繰り返し経験することが形成した我々の心理的習慣によることであるとされる。
『純粋理性批判』の書き出し部分には、このヒュームの因果説への異議が記されている。
「もし経験の進行を規定する一切の規則がどれもこれも経験的なもの、従ってまた偶然的なものだとしたら、経験は自分の確実性を何処に求めようとするのだろうか。」
ヒュームの議論には、因果関係を観念的なものとみる面と、経験的なものとみる両面が含まれている。このうち観念的なものとみるときの問題は、ロックに始まるイギリス経験論の観念論的な性格がもたらすものであり、彼が新しく述べたことではない。それは外界と観念の対応づけという、デカルト以来の容易ならざる哲学的懸案であった。
しかしヒュームの因果律議論に含まれる真の困難は、その徹底した経験性がもたらすもので、すべての知識が経験からしか得られないとすることに起因するものであった。
イギリス経験論は、精神は白紙であり、すべての知識は経験から得るということを基本的な考えとしていた。もしこの立場が正しく、したがって因果関係という、科学的認識の根底に存するとみられる観念もまた経験から得たものであるとすれば、因果律は経験的観察に基づく帰納推論から得た規則であるということになる。
しかし、そのようにして経験から獲得した規則は、絶対的な確実さを持つものではないと考えられなければならない。ライプニッツは「事実の真理」について「偶然的であり、その反対は可能」と述べていたのだった。
ヒュームは物理現象における「結果」は、数学における「根拠」からの「帰結」のようには、「原因」から演繹できないこと、したがってそれは論理的な関係とは異なる不確実な関係であり、これを確かなことと考えるのは、同じ経験を繰り返すことから得た心理的習慣を見誤ったものと主張したのである。
科学知識に確実さが求められるのは当然のことであるから、ヒュームの主張は自然科学にとっては由々しき事態である。確かにガリレイは、落下の法則を、実験を繰り返すことから得ていたが、もしそこで得た法則が経験的なものにすぎないということであれば、その確実さは、多くのカラスを捕らえてみてそのどれもが黒かったということから「カラスは黒い」と結論づけることと同程度のものとなってしまう。
そのことは、次に見つける一羽は白いかもしれないということを帰結させるが、それに応じて、次に塔に上って実験したときには物が落下するとは限らないと考えるべきであるということも帰結させることになる。
明らかにそれは具合の悪いことでもあるし、またこの考えが、実際の経験から乖離したものとなっていることも明らかであるように思われる。先に、カントが述べていた「一切の規則が経験から引き出されざるをえないのだとしたらその確実さはどこに求められるのか」とはこの懸念を言うものである。
ここに至って因果律の問題は、経験的帰納という推論方式が持つ確実さの問題となった。火にあたることで冷えた体が暖まることを我々は知っている。しかし、次に火にあたった時、やはり体は暖まるのだろうか。もしそうだとすると、なぜ、我々は経験する前にそれがわかるのだろうか。
通常それは「事象の斉一性」によってであると答えられる。しかし、問題は、その「事象の斉一性」というものが何によって保証されるのかということである。
これは現在も十分には答えられていない問題である。「事象の斉一性」はヒュームが述べるような、心理的習慣がそう思わせているにすぎないものというのではないとしても、帰納推論が持つ以上の確実さをもつものではないようにも思われる。しかしそうすると自然科学の確実さは成立しないと考えられなければならないことになるのである。