第一部 信仰論 星加弘文

Chapter 1 倫理意識とキリスト教 (3)

Essay 1  『使徒信条』の怪

しかしながらこの使徒信条にはその文言の異様さとは別に、ある奇妙な感じを与える部分があった。

最初それは、この信条が醸し出すある種の異教がかった雰囲気からくるものかと思われたが、しだいにそれが使徒信条自身が持つ「不整合さ」からくる違和感であることに気がついた。奇妙なのは三節目である。

第三節「主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。」

この三節を除く他の節がすべて「~を信ず。」で終わっているのに、この節だけは断定の平叙文で終わっている。これが私のひっかかりの原因であった。通常の肯定文であることからすれば、これはイエス・キリストの生涯についての説明文であろう。

しかしこの節全体が単なる説明文なのであれば「普通の事実」の列挙に終始するはずだが、ここには「聖霊によりてやどり」などの文言が含まれていて明らかに「信仰」として述べられているところがある。「聖霊」などというのは信仰としてしか述べえないし、しかもこれは奇跡「処女懐胎」の信仰だ。

しかしでは、この節が説明文ではなく他の節と同様の信仰告白文だとすれば、たとえば「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」というのはなぜ告白されなければならないのだろう。

それは私が個人的に告白するべきことだろうか。そうではなく、この部分は歴史上のできごととして何らかの学問的な機関といったものから承認を受けるべきところなのではないか。

つまりこの第三節は事実の認定と信仰の表明がごちゃまぜになっているのである。これが私が感じた違和感の正体であった。

「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」はいわば通常のできごとである。したがって、これは信じられるべきことではなく、確かめられるべき事柄である。

たしかにこれらの事柄も、遡れば一群の人々の証言に基づく記録といったものにたどり着き、最終的にはそれらの証言や記録を「信じる」ことができるかどうかという事実認定の是非に帰着していくのであろう。

しかし、それは歴史というものすべてがそうであるところの、情報源や一次資料の信憑性に対する評価の問題である。そこには「聖霊」や「死者の復活」や「神の右に座し」などのような、日常経験から逸脱した内容は何もない。

つまり通常の歴史上の出来事についてそれを「信じる」というのは、単にそれに関わる証言なり記録なりを「信用する」「承認する」ということであって、いわゆる「信仰をもつ」ということとは違うはずだ。

したがって「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」から「死にて葬られ」までを述べることはおそらく信仰ではないし、加えて、もしこれを信仰告白の一部として述べるのであれば、それは自分が知りもしない事実についての認定責任を負わされる感じがするのが否めないだろう。

自分の心に真実であることを旨とするはずの信仰告白に、このような知的不誠実が組み込まれているのは理解し難いことだ。後に知ったことだが、この「使徒信条」が、やはり「信仰と歴史事実の認知は別」という観点から、教会の歴史において幾度かの論争を招いていたことを付言しておく。[1]