第一部 信仰論 | 星加弘文 |
その後、友人をつてに上京した私は西荻窪の自宅アパート近くの教会を訪ねてみることにした。先立つある事情から、聖書を買うことと教会を訪ねることは、東京に来て必ず行うと決めていたことであった。
高校三年次に触れた先のトルストイの民話や、教科書に載っていたチェーホフの「大学生」の背景には「キリスト教」の存在があるが、彼らが背負うその宗教を知ることなしに海外文学の類は読めないと感じていたということもある。またキリスト教のような外国の伝統宗教も、日本の新興宗教と同じような考え方なのかも気になっていた。
そこでキリスト教を知りたいのなら街の本屋に売られている教養書を読むよりは、教会に行ってみるのが手っ取り早いと考えたのである。
電話帳の住所欄を頼りに足を運んだそこは古い日本家屋の教会であった。聞くとどの教団にも属さない「単立」教会なのだという。
教会といってもいろいろあるようだが、とにかく伝統的な信仰が保たれているところでなければキリスト教の勉強にはならないので、その点を尋ねると、牧師は「プロテスタント穏健カルヴァン派」と自身の信仰上の教派を説明した。それが保守的な正統主義のキリスト教であることがわかり、私はとりあえずそこに関わりを持つことを決めた。
日曜の午後には会堂横のプレハブ小屋で聖書講座が行われていて、私は教会員の身内とおぼしき高校生の姉妹たちに混じって話を聞くことになった。「教会員」とはキリスト教会の会員のことで、教会は会員制なのである。また「姉妹」というのは教会での女性の敬称である。
数週がたった頃、私は牧師に「信仰をもつとは何を信じることをいうのか」と質問した。彼は「私たちが信じているのはこれです」と言って、午前の礼拝で使われている『聖歌』の表紙裏に印刷された「使徒信条」を示した。
見ると、「われは全能の父なる神を信ず」から始まる10行ほどの信仰告白文が記されていたが、その中には「陰府(よみ)」「死者の審き」「聖霊」「からだのよみがえり」などの、にわかには信じがたい、しかも聞き慣れない文言がずらずらと並んでいた。
キルケゴールの『不安の概念』やフレスコバルディの『フィオリ・ムジカーリ』など、いくらかでもキリスト教の雰囲気に親しんでいた私にとって、それらの言葉は異質であり、強い宗教臭を放つものと感じられた。たとえて言えば「どこそこの土地の社に祭られている何々様を信じている」という風土的な信仰と同類の臭いが感じられたのである。
欧州経由の洗練されたキリスト教文化が醸成するイメージに反して、「使徒信条」は未開文化のきつい衝撃といえた。
しかし私はその文言にたじろがないよう努めた。むしろやはり教会を訪ねたことは「正解」だったと考えた。
こういった生々しさは教養書を読むことでは絶対に経験できなかったはずであるし、キリスト教もまた宗教の一つであってみれば、そこで何が信じられていようと仕方がないとも思えた。むしろ日常から遠いことが信じられているかもしれないことは予想されていてしかるべきことだったのだ。自分はこの教会風ではない建物には躓かずにきた。「使徒信条」も拒否をするまい。
ただ私にはこのとき思い起こされた言葉があった。
それは宗教教典を私に勧めた友人が、そこの宗教が開く「夏期修練会」から戻ってきて告げた感想であった。彼は「何を信ずべきかはわかった。しかしどうしてそれが信じられるのかは全くわからなかった」と言った。
私もまたこのとき目の前に広げられた「使徒信条」に対して文字通りに同じ思いを抱いたのである。「キリスト教において何が信じられているかはわかった。だがなぜこのようなものが信じられているのか。」
しかし教会との関わりを持ち始めたばかりの自分には、それは大き過ぎる疑問と思われ、その時これを問うことはなかった。