第二部 信仰と理性論 | 星加弘文 |
「超越論的弁証論」では理性の働きと限界が述べられ、これによって形而上学のあり方が示されることになる。
感性は対象を受け取る能力で直観表象(直観の多様)をもたらし、悟性は対象を思惟する能力で直観表象にカテゴリーを適用して概念を生じさせ、ここに経験および認識が成立することになる。
理性は悟性と同じく論理的機能としての認識能力であり、対象を総合してより普遍的な概念のもとに包摂する能力だが、悟性が感性による直観表象を対象として概念を形成するのに対し、理性は悟性が作り上げたところの概念を対象として「理念」を形成することで、世界を概念を介して間接的に総合し、より統一した理解のもとに導くものである。
前段までのとおり、悟性は図式により、直観表象と結び合う形で外界を包摂するため、悟性の能力は空間、時間という直観形式により制約されている。したがって悟性には、空間と時間のもとにある経験を超えるような認識は原理的に不可能であることになる。
これに対して理性は外界との直接の結合をもたないことから、経験世界の制約に縛られることなく考えを進めることができるのだが、それゆえ、誤った推論というものが起こりえることにもなる。
旧来の形而上学ではこういった理性の誤った使用が行われており、そのようなものが学問として通用してきた。カントはここで、理性が自らを批判する考察により、経験を超えた理性使用の限界を示すことで、理性の厳格な使用に基づく新しい形而上学の可能性を述べようとしている。
伝統的論理学は、名辞分析(主語・述語、肯定・否定、全称・特称)と、判断の言い換え規則(対偶・裏・逆)および三段論法の考察からなるが、このうち理性は、推論規則に関わるものである。
カントによれば、推論の主要な形式である三段論法は、その第一前提が定言判断であるか仮言判断であるか選言判断であるかによって、三種の推論形式を生じさせる(B361)。
そして、有限性から自由である理性は、これらの推論において概念の総合を無限に押し進めようとするのだが、そこで概念総合の指導にあたっているのは3個の「理念」であり――これは悟性が4種の「カテゴリー」によって直観の多様の総合統一にあたるのと同様の仕組みである――その3個の理念とは判断の種類の順に「主体」「世界」「神」であるとされる。
定言判断(AはBである)の遡及的総合は究極の主語を求めることであり、これは「われ思う」という言明に最終的な表現を見いだす。どのような定言判断も、主体である「心」や「魂」といった「自我」が思惟することを前提しているためである。
仮言判断(もしAならばBである)における遡及的総合は条件を限りなく遡ることであり、世界の始まりや果て、物質の無限分割、因果の連鎖における始源としての自我および神などが問題となる。これによってもたらされる究極概念が世界の総体としての「世界」理念である。
選言判断(AまたはBのいずれかである)における遡及的総合は、あるものがその「いずれかである」という選言の不完全さを克服できる地点へ向けて行われる。つまり、ある種の概念についてはすべての完全さをもつものとして考えられている、ということが選言判断の成立根拠であり、この完全さを備えたのが「神」の理念であるということになる。
これら三つの理念は、理性が諸概念を背進的に遡及総合することによって抽象した究極概念であり、実在との対応性をもつものではなく、この点が概念との違いである。
この悟性概念と理性理念の違いを考慮せず、理性推論の結果である「神」、「世界」、「魂」といった理念を実在的に考え、そこにさらに因果性など、本来は経験にのみ適用可能である悟性の判断を適用することで、中世の誤り多き形而上学が生まれたのである。
カントは誤って実在的に考えられた理念を「超越論的仮象(かしょう)」と呼び、理念が仮象となる具体的状況を先の3種の推論形式に従って論じる。
自我としての仮象を扱う「純粋理性の誤謬推理」、世界としての仮象を扱う「純粋理性のアンチノミー」、神としての仮象を扱う「純粋理性の理想」で、これが「超越論的弁証論」の主要な内容になっている。
すべての「超越論的仮象」の誤りは、理性が「可能的経験の限界を超出しようとする自然な傾向をもつ」ことから、概念を対象化してしまうことにおいて生じているのだが(B670-671)、その実際の形態は、推論途上の概念に対する「媒概念多義」による意味のすり替えであるとされる(B411, 525, 626-627)。
しかしながら「純粋理性の誤謬推理」および「純粋理性の理想」での議論が、こういった、論理の単なる誤用を指摘するものであるのに対し、「純粋理性のアンチノミー」における議論はもう少し複雑な様相をみせる。
世界に始まりがある/ない、世界は有限である/無限である、などの二つの相反する主張がともに妥当性をもって成立する――これを「アンチノミー(二律背反)」という――問題に対して、カントは対象を現象と物自体としてみる「超越論的見方」による解決を与える。
カントが提示する「純粋理性のアンチノミー」は、単なる推論の誤りが引き起こす矛盾ではなく、無限概念が絡むことによるパラドクスとみられることから、本来は、古典論理と直観主義論理、あるいは実在論と構成主義といった現代哲学の知見を必要とするものと考えられる。
しかしこの箇所に示された一見整合性がないカントの解決は、認識境界に関わるこの問題の扱いについてのカントの「超越論的見方」の正しさを証明するものとなっていることは確認できる。(Section 8 参照)