第一部 信仰論 星加弘文

Chapter 4 信仰対象イエスの獲得 (2)過去性の克服

Confirmation 1「福音書のイエス」を史実のイエスとみなすことができないとされる理由

そもそもイエスに関する学問的探求はなぜ必要と考えられているのだろうか。福音書はそのままでは信頼できないものなのだろうか。前節に述べた二つのイエス概念の考察の前に、この点を確認しておきたい。

神学上の保守派の書物を見る限り、新約聖書の歴史的信頼性には問題がないように感じられる。例えば、Chapter 1-Essay 4に触れたF.F.ブルースの『新約聖書は信頼できるか』や、同じく彼の手になる綿密な注解書『使徒行伝』は、新約聖書著者の一人であるルカが書いた記事の正確さを伝えている。

それによるとルカが使徒行伝に記したある地方役人の役職名は、当時の一般的な名称ではなかったため捏造と考えられた時期があったが、近年その役職名の書かれた政治文書の存在が明らかになったとのことである。また、彼が記しているある地方都市の市長名についても、その名が刻印された当時のマンホールの蓋が発掘されたことが報告されている。

新約聖書のすべての記事が考古学的に裏付けられることはもちろん期待できないが、このような例から推し量って、新約著者が伝えている地名や年代は正確を期して記録されたものとみられるということである。

一方で、新約文書の歴史性に懐疑的な主流派神学が提示する研究は、オリエント地域の各宗教が互いの影響のもとに発展したという19世紀宗教史学派の宗教観を前提するものであることが多く、また主流派神学の多くで当然のこととされているイエスに関わる奇跡記事の否定は、18世紀のカント認識論の帰結である「現象と物自体の分離」という考えを無批判に受容した結果であるとみられることから、これらについては検討の余地があり、新約文書の信頼性に決定的な疑念を投げかけるものではないという印象が持たれるのである。

私も相当期間、上の二つの見解が与える安心感、すなわち新約文書に含まれる史実と思われる記事は注意深く誠実に書かれていること、そして新約文書に対する懐疑的主張の多くは時代遅れであるという「平穏の微睡み」の中にいたといえる。

しかしながら前世紀における『トマス福音書』の発見にまつわる「Q」に関する書物を読んだことと、「史的イエスの第二の探求」と呼ばれるブルトマン学派のいくつかの考察を知ったことで、次第に私はこの安心感の中にとどまっていることが適切ではないと思うようになった。

「Q」というのは、マタイとルカが福音書の原資料として用いたと考えられるイエスの語録集のことであるが、実在が確かめられた資料ではなく、現行の福音書の構成から、その存在を想定することが合理的であると考えられているものである。[1]

ヨハネ福音書を除くマタイ、マルコ、ルカの三福音書(共観福音書と呼ばれる)において、マルコ福音書のほとんどが、マタイとルカに含まれていることから、マルコ福音書がマタイとルカの共通の資料であり、最古の福音書であるとみられてきた。

しかし19世紀半ば、H.J.ホルツマンは、マタイ福音書とルカ福音書にはマルコから採られたのではない共通部分があり、しかもその共通部分はほぼイエスの語録ないしは説教であることを発見した。

この「聖書の事実」から、ホルツマンはマタイ福音書とルカ福音書の成り立ちを説明するために、マルコ福音書の他にもう一つの資料を想定することが有効であるとし、それをイエスの「ロギア(語録集)とみる「二資料説」を唱え、この語録集が「Q」と呼ばれて現在まで共観福音書成立の基本理解となっているのである。[2]

この想定されたQ資料は、20世紀半ばにエジプトのナグ・ハマディから発見された『トマス福音書』がイエスの語録文書であったことから、「イエスの語録集」というものの存在が裏付けられた形となり、その信憑性が一気に高まることとなった。

発見された『トマス福音書』は、ホルツマン以後研究が進められてその範囲が確定されつつあるQとは内容が異なっており、『トマス福音書』がQであるということではないが、文学類型として同じものが存在したことが確証されたのである。

このような、福音書がQなどの複数の資料をもとに成立しているとする理解は、共観福音書間に認められる記事の相違に関して保守神学が採用する素朴な見方例えば、ある事件を伝える複数の新聞はそれぞれ異なった角度から記事を書くのであり、福音書間の異同もそのようなものとして説明できるという見方を覆すものではない。

しかし、Q資料と、マタイとルカ両福音書における次の関係が明らかになるとき、この見方は維持できないものとなる。

それは、マタイ福音書とルカ福音書からそれぞれ抽出されるQの順序が同じであるということである。このことは、マタイとルカがQ資料におけるイエスのことばの順序を、それぞれが忠実に保ったことを示しているが、逆にいえばそれは、原資料Qにおけるイエスのことばが、マタイとルカそれぞれの福音書の時系列展開にはお構いなしに、そのままの順序で挿入されたことを意味している。

マタイ福音書とルカ福音書は物語としての構成は大きく違っているので、そこにQのことばが鉄櫛のごとく絶対的順序を保って差し込まれると、現行福音書でイエスがそれを語っているとみえる背景や前後関係などは、編集によってつじつまが合わされたものと解さざるを得なくなる。実際、Qはマタイ福音書においてはイエスの五大説教の間に、ルカ福音書においてはエルサレム行途上にちりばめられているのである。

聖書がもつこの事実は無視できるものではない。Qがこのように使われているとすれば、たとえそれがブルトマンの言う「アポフテグマ」ではないとしても、すなわち聖書著者がイエスの格言的な教えを中心にして架空の出来事を印象的に構成したというものではないとしても、実際にあったできごとに隣接させ、あるいはその渦中に、本来はその場で語られたのではないイエスの言葉が置かれたのであれば、その記事は事実そのままを伝えたものとはいえないからである。

この場合、聖書の不完全さを一つ認めるとより多くの不完全さを否定できなくなるという、Chapter2でみた「聖書信仰」の擁護者たちの主張が、「神のことば」よりも一段低い「史的信頼性」のレベルにおいて言われることになるだろう。これは「無誤」を標榜する保守的キリスト教にとって致命的である。

もう一つ、ブルトマン学派のJ.M.ロビンソンによる考察を紹介しておきたい。箇所は「百卒長のしもべの癒し(王室役人の息子の癒し)である。[3]

マタイ8章とルカ7章の記事では、百卒長(百人の兵士をまとめる隊長)は「しもべ」が癒されたことを知る前にイエスへの信仰を表明しているが、ヨハネ4章では息子の癒やしを知ってから信じたとされている。

またマタイとルカでは百卒長のイエスの言葉への信頼表明が記事の中心となっているのに対し、ヨハネでは「奇跡-驚き-信仰」という通常の奇跡記事となっていて、その箇所でイエスは「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、けっして信じない」48節)と非難めいた言葉を発している。

つまりマタイおよびルカと、ヨハネとでは百卒長の信仰とイエスの対応がいずれも大きく違っているのである。

このことからブルトマンは、マタイとルカの記事をイエスの言葉を中心として物語が編集される「アポフテグマ」に分類しており、[4] ロビンソンも同様にこれをQ資料由来のものとみる。

一方、ヨハネ福音書では「奇跡資料」と呼ばれる第四福音書特有の資料が用いられていることが相当程度承認されていることから、こちらの記事はその「奇跡資料」に由来するものとしている。

ここで、実際の出来事を推定するロビンソンの考察は次のようである。

マタイ・ルカの記事はQを核とする「アポフテグマ」であるので、そこに語られている百卒長の信仰は物語的な付加物であり真実ではない。一方、ヨハネ福音書の記事にはマタイ・ルカのような洗練された百卒長の信仰は見られず、癒されて信じるという素朴な信仰が述べられているだけなのでこちらが真実に近いだろう。ただし、イエスの死後60年以上を経て、四福音書中、最後に書かれたヨハネ福音書は、「見ずに信じる者は幸いである」という言葉で実質的な終結部(20章)が締めくくられているとおり、このとき過去のものとなりつつあったイエスのわざに頼る信仰ではなく、なお現在的でありえるイエスの言葉に対する信仰を推奨する動機を強く持つ福音書である。この点を考慮すると、著者ヨハネが手にした「奇跡資料」における百卒長の素朴な態度は、彼の執筆意向にそぐわないものであったことが推察される。そしてそのことが48節で、イエスが奇跡の恩恵に基づく信仰に対して非難を述べるという形で結実しており、それゆえ「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、けっして信じない」との言葉はイエスではなく、ヨハネに帰されるべきものである。

実際のロビンソンの記述はもう少し込み入っていて分かりにくいが、おおよそ上の主旨である。

保守神学ではヨハネの記事とマタイ・ルカの記事を同一の出来事とはみなさないようである。[5] 確かに、いずれもカペナウム近郊でのこととされているが若干の違いがあり、登場人物も「しもべ」と息子、また役職名にも違いがある。さらにイエスのところへ懇願に来た人物においてはマタイ・ヨハネとルカの間に相違がある。

それでも三つの出来事の展開は酷似しており、これを、類似しているが異なる出来事とされる「5000人の給食」と「4000人の給食」のような扱いをすることはできないだろう。なんといっても「給食」の記事は同一福音書に二つ書かれているのであり、その後先についての言及もある。複数の福音書にまたがって記されている「百卒長」の記事とは「聖書の事実」としての性質が違うのである。保守神学がこれを別々の出来事とするのはただ福音書間に明らかな不整合が出るのを避けるためであるようにみえる。

ヨハネ福音書が事実に近いとするロビンソンの考察が正しいか否かの判断は置いておくとして、ここでは同一の出来事が単なる記者の視点の相違というのではなく、別の様相をもって伝えられている点が重要である。これにより福音書は事実そのままを伝えているのではないと言わなければならないからである。

さて上の二例は、福音書が史実的に「でたらめ」であることを示唆するものではない。むしろそれらは福音書がイエスの史実に根源を持っており、その歴史性が保たれていることの痕跡といってよいものであるかもしれない。

しかしそうであるとしても、これらの考察は、聖書が「事実をそのまま伝えたもの」とする見方では賄えない性質を持っていることを教えていることは確かである。その性質についてより多くのことを理解しなければ聖書を理解したことにはならず、聖書が伝える一世紀当時の事実にたどり着くことはできないということである。このため、聖書、福音書、そしてイエスについての学問的研究が必要とされているということなのである。

では福音書はどう理解されるべきものなのか。事実そのままではないとすれば福音書の記事はいったい何なのか。そして事実そのままではないにも関わらず、そのような福音書から信仰が成立した場合、その信仰は是認されてよいのだろうか。

これらのことはいま明らかではないが、先を急がずに手順を踏んでこの問題を扱っていくことにしよう。私にとってこれらの疑問はどうしても解かれなければならない。というのも、「信仰論」Chapter 2-Episodeに書いた通り、私の洗礼式は「聖書に書かれている歴史記事が事実であるという前提のもとでイエス・キリストを信じます」という告白において行われたものだったのである。