Part 2 The Theory of Faith and Reason Hirohumi Hoshika

Chapter 1 Theory of Faith and Reason Methodology (1)

Section 1 何が何を語るのか

A.ジイドの『狭き門』に、ヒロイン アリサが教会の書棚に並んでいる「つまらない冊子」を読んでいることを知って、主人公ジェロームが失望する行(くだり)があり、私はジェロームを失望させた教会の「つまらない冊子」とはどんなものか知りたいと思った。というのも、その冊子にはジイド自身が失望しているように思われたからだ。

後に教会に身を置くようになって、私はその類の書物を手にすることとなった。「信仰書」と呼ばれるそれらのささやかな書物には、イエス、神、聖霊に、ときに「様」という敬称がつけられて主語となった文がちりばめられていた。教会では、神や聖霊を主語とする文に接することは特別なことではない。むしろ「私は…。私は…。」と綴る普通の文章が「信仰的ではない」と見られることがあるほどである。

しかしその本は私には読みにくかった。そこからは信仰というよりは信仰深さの装いが感じられたからである。キリスト教専門書店で見かけるクリスチャン向けの雑貨や、教会堂に配された装飾の品々が放つのと同じ雰囲気をそれらの書物は纏っていた。

何が何を語るのか。といっても、これは雲をつかむような問いではなく、ここではただ信仰について、それは理性的に語られてよいものであるのか、それとも信仰は信仰によってしか語りえないとすべきであるのかを問いたい。いくつかの正当な理由から、現代のプロテスタント教会は、信仰を理性的に語ることに用心深くなっている。

それは一つには上の回想に認められるような、自分たちの宗教にふさわしく信仰を世俗的にではなく神聖さをもって語るべきという、なお未熟というべき動機に押し出されてのことでもある。しかしかつて、信仰を哲学のように語ったトマス・アクィナスやインマヌエル・カントらの著名な試みが、結果的にキリスト教を正しく保持しないことが明らかとなっているという神学の歴史が教会を慎重にさせているのである。

加えて現代の理性批判や、何事によらずその前提を問う考え方が、宗教とは由来も性質も異質であると思われる理性によるキリスト教への接近を、前近代的な無邪気なことと見せているという事情もある。

かつてのキリスト教弁証論は、まず、それを語ろうとする自分自身の身分を問わねばならないとは考えもしなかったが、今や理性は、それが何について述べるものであろうと常にその資格が問われる時代となった。2007年に発行されたカント哲学に関するある書物には次の一文がみられる。

「私たちは理性について語りづらい時代を生きている。… 理性的普遍性への懐疑が広く行き渡り、コンテクスト主義が優勢になる中、カント哲学と向き合うことで主張できることは何か。これが本巻を貫く問題意識である。」[1]

このように理性を対象とした批判手段としての叙述でさえ、そこで用いられる概念の前提や中立性が問われる時代である。まして宗教を述べようとする理性がその身分を明らかにしないまま、この現代の関所を通り抜けることは許されるはずもない。

キリスト教を述べようとするとき、それはどのような理性において述べられなければならないのだろうか。

「トレルチの著作は去年あるいは一昨年に書かれたもののように読める。バルトを読むとまるで五世紀の教会教父のものを読んでいるように感じられる。」[2]

これは、ある神学論文に紹介されたW.A.パネンベルクという神学者の言である。20世紀初頭における著名な二人の神学者に関する言明だが、神学書というものを読んだことがない人には何を言っているのか分からないと思うので、それぞれの著述例を挙げておこう。

ただし饒舌かつ悪文である神学著作が多い中でも、E.トレルチのものは難解という別の困難が加わっているので、トレルチについては同じ自由主義神学に属し、その師でもあったW.ヘルマンの論文を引用する。

「聖書において『啓示する』とか『あらわす』という表現のもとに、何が意味されているかを語ることは、たしかにむずかしいことではない。それは、これまでおおいかくされていたものの覆いがのぞかれることを意味し、これまでかくされていたものが出現することを意味する。しかし、このような言葉の真の意味が把握されるのは、じっさい、長いあいだ啓示と呼ばれてきたものが、われわれにとって、なにかずっとなれていたものから理解しがたい仕方で新しいものになることを、われわれが自己自身に経験するときである。」[3]

ヘルマンの叙述は概ね明瞭であり、主題が、聖書や啓示というキリスト教の事象になっている点を除けば、一般的な書物を読む以上の困難はないといってよい。「啓示」というキリスト教の概念を一般的な概念で解説しようとする姿勢が明らかである。引用を避けたトレルチの著作も読みにくさを除けば叙述法としてはこれと同じ作法である。

一方で、次のバルトの著述はどうだろうか。やや長くなるが、上と同じく聖書に対する基本的な問いから始まる論文を挙げておく。

「聖書は世界事象を解明するためにどのような認識を提供してくれるであろうか、とわれわれは問う。この問いはしかし、たちまち逆転してわれわれ自身に向けられる、そしてこうなる。いったい、またどの程度まで、われわれは聖書の中に提供されている認識を体得しうる事情にいるのであろうか、と。この問いに対しては、実際、あまりひねくり回さないでも、次のようなこたえが与えられねばならぬ聖書は神の認識をわれわれに提供してくれている、したがって何か特殊な、あれこれの認識ではなくて、すべての認識の初めにして終り、根源にして限界、創造的統一にして最後窮極の問題性を提供してくれるのだ、と。『はじめに神は天と地とを創造された』創世記1.1)と『アァメン、主イエスよ、きたりませ!』黙示録22.20)である。これこそ、聖書の中に提供される認識から、当然生じ来たる、世界事象の解明なのである。」[4]

バルトは聖書が世界事象を知るための方策を提供しているかを問うている。つまりこの問いは聖書に向けられたものである。しかし直ちにその答えは聖書にあるとされる。これは通常の答え方ではない。聖書そのものに向けられた疑問に対しては、普通は、聖書を外から評価する別の視点に立って答えるものだが、ここでは疑われている聖書自体の中にその答えがあると言われている。

バルトにおいては、人間の罪性による認識の歪みというキリスト教教義が前提されているため、常に理性の資格が疑われる。「いったい、またどの程度まで、われわれは聖書の中に提供されている認識を体得しうる事情にいるのであろうか」先の引用に倣って言えば、これがバルト神学を貫く意識である。

カントが一般事象に対する認識を純粋直観と悟性カテゴリーという二つの認識制約のもとに見たのとは別に、バルトは人間の罪性による認識の制約を見る。それゆえ、それが聖書に対する問いであったとしても、その答えは地に堕ちた我々の理性にではなく、聖書に聞かねばならないとされているのである。

ヘルマンの叙述がキリスト教世界を一般概念によって解説しようとする、つづめて言えば信仰を理性で語ろうとするものであるのに対し、バルトは聖書というキリスト教的なものをキリスト教教義に立って語ろうとする。つまり信仰は信仰でしか語り得ないとするのである。

神学である以上、いずれの著作においてもキリスト教的概念がふんだんに使用される点は同じだが、ヘルマンでは主題すなわち説明される側においてのみキリスト教概念が使われるのに対して、バルトでは説明する側にもキリスト教概念が使われる。

この、叙述する側に聖書の概念やキリスト教教義が使われていることが、おそらく先のパネンベルクの言、「バルトの著作は五世紀の教会教父のよう」が意味するところなのである。

バルトは自身の主著に「教会教義学」という名称を与えているが、そこで彼は、通常の理性的思惟との決別を意味する教義学的思惟こそが「神へ至る道はなく、ただ神がわれわれを見いだし語られた神の啓示」[5] を正しく扱う方法であるとする方法論を意識的に採用していた。

トレルチと並置され「五世紀」と評されたバルトであるが、彼自身はトレルチらが属する宗教史学派出身のR.ブルトマンの理性主義神学を「古色蒼然たる道」と呼んでいたのである。[6]

理性を理性で語るカント、信仰を理性で語るヘルマン、信仰を信仰で語るバルトとくれば、理性を信仰で語ろうとする者がいることに、もはや驚く必要はないのかもしれない。20世紀のH.ドーイウェールトはそのようなタイプのキリスト教哲学者である。

三十数年前の神学校時代のことだが、芝生で休んでいた私の所に、当時隣接していた別の神学校の学生が来て、午前の教室で教わったばかりのドーイウェールトのキリスト教哲学を「講義」してくれたことがあった。彼は私がそのような方面に関心のあることを知っていたのである。

彼は得てきた知識を確かめるように反復し、そのため私は昼休みの大半を「異教的根本動因における理性の偽装自律」に費やすことになったが、そのとき私が抱いたのは「信仰と理性について知りたいのはそういうことではない」という、その学説に対する違和感のようなものであった。

同時に、その違和感の正体を自分が掴めていないとも感じたのだったが、後にそれが、我々の理性を含む一般事象をキリスト教教義に適う諸概念から説き明かそうとする、世界についてのキリスト教的解釈であること、いわば理性を信仰で語る試みであることを理解した。

そこで彼の親切な講義は、私にはキリスト教教義を哲学用語に置き換えただけの、哲学というよりはある種の耳新しい神学として今もって記憶されているのである。何が何を語るのか。これは今日では多様な答えを許す問いであり、はっきりと答えておかなければならない問いなのである。